アンナロッテの魔城

◆ ◆ ◆
 アルバムを聴いていると、好きな曲の前にはわくわくして落ち着かなくなる。
 操縦席にあたる、狭苦しい棺を音楽で揺らしながらマーケットのカタログを物色した。慣れると良い具合に狭くて落ち着く。
 最近どうも調子が良くないと思っていたら、出力不足になっていたらしい。少し前に調達した砲塔を無駄にするのも惜しいし、ミサイルを作ったばかりだった。なにがしかエンジンを調達しなければならない。
 私は前線向きではない。何度か戦場に出てみて分かったことだ。能力もそうだが、どうにも性根が向いていない。今ここで、生きるのか死ぬのか。命を賭けるギリギリのやり取りというものは面倒くさくなってしまう。相手を倒してまで、自らを生存させ続けていたいとは、強く思えない。
《創造主》のせいか。ひとり放り出した両親のせいか。
原因は考えたくなかった。もっと別のことを――例えばゲームの戦略だとか、そういうものに頭を悩ませていたい。
残像領域に来てから数度戦闘を経たが、まだ生きている。
ハヤテがあれっきり姿を見せなくて、二度目の戦闘はどうなることかと思ったけれどなんとかなった。なんというか、意外と当たらない。敵も味方も、この世界を見境無く満たす霧のせいでぎりぎりまで近づかないことには射撃武器だろうが近接武器だろうがなかなか当てられないようだった。それに、当たったからといって必ず死ぬわけでもない。
まあでも、当たり所が良かった。
生身で人を殺す気でいたり殺されそうになったりするよりずっと、何重も膜を隔てたような感触がする。殺意は確かにある。だけど遠い。殺意にまみれながら《創造主》だけを頼りになんとか殺されずに生きてきた私には、なんだか妙な心地だった。
ハイドラライダーたちはそれぞれに雇い主がいるけれど、皆ハイドラ大隊の一員として招集、戦場に配置される。この大勢のうちのひとりという感覚が慣れないのか、戦場というものが慣れないのか。大抵の人間に体格で劣る私が人を排除するときは、いつも決まってだまし討ちだった。真正面から向き合ってのやり取りが慣れないのかもしれない。ああ、そうだ。だから、前線なんかに出て行ったらすぐ死んでしまうだろう――。
 ぴーっ。携帯電話が鳴った。タイマーだ。コインランドリーで洗濯が終わる時間を設定していた。音楽プレーヤーを止めて携帯電話をポケットに突っ込む。
「《創造主》、ちょっと出かけてくるわね」
『ああ。気をつけて行っておいで、アンナ』
 通信スイッチを押して告げると、すぐに返答があった。《創造主》は残像領域に来てから、私の正確な位置を把握することが出来なくなったと言っていた。この世界にはGPSがないんだよ、とは彼の言だ。だから出かける度にいちいち連絡しなければならない。別に苦ではない。ただ少し不安になる。こうして連絡しないと、《創造主》は私へ連絡するのに、この空っぽの棺に向かって言葉を発し続けるのか。《創造主》の見えない腕はこれまでずっと私を守っていてくれたのに、ここでは本当にそれがないって、思い知らされる。
 私に与えられたハイドラは街の外れ、辺境との境にあるあばら屋に停まっている。今は死んだライダーたちが代々使ってきたようだった。持ち主のわからない、だけどひとりきりではないだろう持ち主の残していったものがばらばらと散らばっていた。寝食に必要なものも大方が揃っているけれど使ったことはない。
 壁が隙間風で揺れる。あばら屋の中もうっすら霧で視界がしろい。ポケットの中の銃をなぞって、携帯電話を握りしめ、外へ出る。
 まっしろいばかりの霧は残像領域をずっと覆っている。らしい。私が来てから、薄くなったことはあるものの晴れたのを見たことはない。日によって濃さが変わるから、天気予報の代わりに霧の濃さの予報がラジオで流れるのを聞いた。
 街へ続くぼうっとした街頭を辿って歩いた。周囲一、二歩くらいしか見えずに歩くのは神経がきりきりする。ハイドラに乗っていたらレーダーでスキャンがかけられるから、見えなくても大体のことはわかるのに。
 コインランドリーの中に入ってどっと肩が重くなった。洗濯物を乾燥機に移して、再び携帯電話のタイマーをかける。洗濯ほどは時間がかからない。その間に食糧を買いに行く。
 行きつけは近くの店だ。行くのはこのコインランドリーとその店、たまにパーツを買いに行くマーケットくらいのものだった。
 店の風情は貧相な田舎町のものに似ている。不毛の、北の大国に行ったときなんかはよくこんな店に入った。父とまだ世界中を旅していた頃。
 壁に直接付けた板を棚にして商品が並んでいる。いつ来てもまばらにしか商品がなくて、缶詰とかそのまま食べられる固形食糧とかをあるだけ買い占めていた。
「お使いなんだろうけどさ、あんたみたいな女の子が、ひとりでうろちょろするもんじゃないよ」
 このへんは柄の悪いやつも多いから。店のおばさんはいつも同じようなことを言って、商品を大きな紙袋に詰める。私はどう返したらいいのかいつもわからなくて、なんとなく頭を下げて受け取っていた。
 乾いた洗濯物と食べ物で両手をいっぱいにして帰って、缶詰の味もしない人工肉を食べてハッチを閉め切って操縦棺の中で眠る。そんなことの繰り返しだ。
 私もその、柄の悪いやつのひとりだ。ただ私は小娘だからそうは見てもらえない。今までなにをしてきて、なにをしたって。得だと捉えるべきだ。だけど、いつもざらざらとした後味の悪さが嫌いだった。
 次の戦場は研究施設の制圧だった。施設の警備を突破し、逃げ惑う研究員を避け、ときには踏み潰しながら奥へ奥へ進む。植物園――残像領域に植物なんかは自生しないから、巨大な温室だ――やら研究施設やら、機動兵器は過剰戦力だろう。よその企業のハイドラを相手にするよりは気が楽、いや、今一人轢いたからこっちのほうが胸くそ悪い。これだから制圧任務は苦手だ。生身だろうが逃げ遅れだろうが、雇い主にとって敵であるのだから巻き込んでも「仕方のないこと」になる。ハイドラライダーをやる――雇われて代理戦争の駒をすることは、胸がどろどろした。
 レーダーでスキャンをかけ、敵味方と物の位置を確認する。通信範囲内の味方にもデータを送信した。濃い霧の中ではこの位置データを頼りに戦闘するしかない。だから索敵機はどこの戦場でも重宝されたが、そればかりでは稼ぎは少ない。重要だからこそ索敵機は多く、支援を評価されるのは難しかった。
『おや、ちょうどおあつらえ向きの的だ』
「あなた、データだけ見て軽々しく言わないでよ」
 思わず声にとげがつく。《創造主》はこの残像領域のどこか安全なところにいて、ハイドラに通信を繋げているだけだ。スキャンデータなんかは見ることができて、処理のほとんどをすることはできるらしい。これまで行った世界でも、《創造主》はそういったものの扱いがうまかった。建物じゅうの通信と通話と監視カメラの傍受、警備システムの気取られないハッキングとか。まさしく神のような指示に従ってきた。次にどこを曲がるとか何分後までにここだとか。でも戦場にはそれがない。《創造主》は冷やかすだけで、私はひとり汗だくになって戦場をやり過ごしている。
 いくつかの操作で、スキャンデータ上に円がふたつのる。積んだ砲塔とミサイルの射程範囲だ。その中から、障害物や移動速度を考えて的を絞る。確かにおあつらえ向きの敵機がいた。こちらの存在に気がついていない様子だ。砲塔を旋回させ、仰角をとる。このあたりの計算と操作は火器管制システムの仕事だ。精度がそんなに高くないのが難点だった。
 トリガーを引く。機体が反動に震え、敵機の横を通り過ぎる。外れ。狙われていることに気がついた敵機が慌てて移動を始める。射程からこちらを見つけるのも時間の問題だ。アクセルを踏み、操縦桿を握る。
 走りながらだと火器管制システムは標的をロックできない。それはそれで当然だが、撃つために止まって相手に撃たれない間に敵機を撃墜するのは至難の業だった。技術も性能も高くない以上、駆け引きが大きなウェイトを占める。スキャンデータの処理にも神経を使うのもあって、戦闘中は大体頭が痛い。
 相手は右に行くのか、左に行くのか。武器は? 仲間は近くにいるのか?
 幸い相手より私の方が射程が長いようだった。近づいてくる敵機から逃げる。障害物を使ってうまく逃げられれば、距離を取るのは難しくない。
『ほう、うまいじゃないかアンナ』
「伊達にずっと逃げ続けてないの!」
 物陰に隠れ標的をロックし、狙いを定める。こちらを追っていることはわかっているから、進路予測も立てやすい。トリガーを引く。
 今度こそ当たって、敵機が煙を上げた。追撃にもう一発撃ち込み炎上を確認してから移動を始める。
『弾薬費の無駄じゃないか?』
 砲塔へ弾薬を装填する音を聞きながらスキャンデータを処理していると、《創造主》がけちなことを言い始める。
「とどめは必ず刺すこと。先生の教えよ。後ろから撃たれて死ぬのは嫌でしょ」
『ハヤテならやりそうだがね。君がそこまで冷酷になれるとは意外だったんだよ』
 まあ先生ならね。相づちをうつ。あの人はあれで手段を選ばないしお金でなんでもするヒットマンだから、本当にあらゆることを知っていた。私が教われたのは人を肉にする方法がせいぜいだ。
「そういう人に私を指導させたのはあなたでしょ。とんでもない大金を積んで」
『彼女くらいしか適材がいなかったのだから仕方がない。お陰でアンナも逞しくなったじゃないか。よかったよかった』
 はいはい。弾薬の装填が終わった。ちょうど《創造主》のスキャンデータ処理も終わって、周りへ送信しがてらアクセルを踏んだ。
 HCS(ハイドラ・コントロール・システム)というものはなかなか便利な代物だ。仕組みは不思議ではあるのだが、とにかく操縦棺についたパーツを取り付けられる『首』にパーツを取り付けるだけでソフトウェア上の接続までもが完了するし、パーツの組み合わせで不都合が生じることもない。むしろパーツの組み合わせで特殊効果を得られることがあるから――システムは定期的にアップデートされる――それを把握しきれているかが戦力を左右していると言っても過言ではない。弾薬の自動装填もそのひとつだった。いくつかの特定のパーツの組み合わせで得られる効果だ。戦闘行動がこのせいで取れないのは痛いが、弾切れよりはいい。
 スキャンしたはずのデータに点がひとつもない。障害物はいくつか感知しているようだ。とても小さくて障害物には出来そうにないが、移動には邪魔な大きさ。ちょうどハイドラぐらいの。
 棺が大きく揺れた。視界がぶれて、頭がじりじりする。
 やられた。どこから。第二撃目がすぐに来ない。近接武器ではないということだ。でもそんな、射撃武器の射程内に点はない。
 そろそろと前進して、データの隅に点が現れる。こいつだ。こんな遠くから。広域索敵範囲のぎりぎりだ。狙撃砲だろうか。こんなに射程が長い武器を見たことがない。しかも、私よりずっといいレーダーを積んでいる。
 敵わない。ここは逃げだ。
 大きな戦車型をした私のハイドラはそうそう装甲を抜かれることがない。あと数発なら耐えられる。フルスピードでなら振り切れる。たぶん。
「《創造主》、スキャンデータを送るから都度処理して送り返してちょうだい。なるべく早く」
 汗が止まらないのにとても冷たくて寒い。そのくせぶつけた頭はすごく熱くて、顔を伝う感触は血だろう。生きているから大丈夫。かすり傷だ。ぬぐうために操縦桿から手を離すのが惜しい。離した途端に攻撃が飛んできそうな予感がする。しろく厚ぼったい霧の向こうの敵機は見えない。
 アクセルを踏みきった。レバーを繰って退がる。とたん、視界がぶれた。背中が痛い。左腕がじりじりとして言う事をきかない。
 頭を振る。熱くて重い。データとメインカメラのモニターがすこし違う。いくつかモニターが死んでいた。アクセルを踏む。揺れ方と音が違う。から回っているようだ。
 横転している。くそっ。毒づきたいのに声が出ない。データは律儀に更新されている。レーダーはまだ生きているのか。
 敵機を示す点はいつの間にか画面の真ん中まで来ている。数分前まで映るか映らないかのぎりぎり端にいたくせに。
 追撃が来た。機体は運良く一回転して、履帯をがたがた言わせながら走ることができるようになった。でも装甲を抜かれた。首筋を冷気がなぞっていく。操縦桿を握ることができているから、右腕は生きている。アクセルを踏んでいるから右足も生きている。でも身体のほかがどうなっているのか、妙に狭くなった視界で見る余裕がない。ずきずきする。じりじりする。身体じゅうが燃えそうなほど熱い。だけど手も足も震えていて、食いしばっているはずの歯ががちがちいうのが聞こえた。
 私は、逃げているのか? 逃げられているのか?
 どこにいるのか、向かっているのかがわからない。スキャンデータはまだ更新されているのに、見て意味が理解できない。
 メインカメラのモニターになにかが映った。光だ。丸い光が大きくなって――近づいてくる。
『ア・・・・・・アンナ・・・移動を・・・・・・』
 《創造主》の声に気がついたときには、視界は光に包まれていた。


***
 見知らぬ天井だった。
 あれ。
 声は出ない。口を動かしたつもりで少しも開いていなくて、そのことに気付くのにもすごく時間が必要だった。意識がとろい。だけど、身体のほうがもっととろい。どっちも私ではなくなったみたいだ。
 視界は天井に覆われている。背中は硬いけれど、ほんのちょっと柔らかい感触がある。指をほんの少しずらせて、温かい。布。
 ベッドに寝かされているらしい。
 あ。あー。声は出ない。掠れた音が出るばかりだ。
 首は動かない。眼だけで左右を見る。少し汚れた白い壁。すごく近い。すぐそこだ。ベッドが壁に沿っている。もう一方には、顔が見えた。
 心臓が破裂しそうだ。女性。少女だろうか。くろいショートカット、シーツみたいなしろい肌。髪からのぞく耳がとても小さくて、顔のなにもかもが小さい。私より小柄だろう。ベッドに頭をもたせかけて眠っている。
「ううん・・・・・・」
 女性が瞼を上げた。ぼんやりと私を見上げる。私は、反射で起き上がったのか。指も動かせなかったのに?
 そう気付くと身体じゅうが痛くなる。
「ああっ! よかった。眼が覚めたんだね。でもまだ横になっていて。無茶しちゃ駄目だよ」
 女性はほんわり笑った。声は綿みたいに優しい。でも有無を言わせない強さがあった。
 私はといえば歯を食いしばって手で自分の身体じゅうをまさぐって、銃を探すのに必死だった。短パンとタンクトップを着せられている。私のではない。それに身体中を包帯で巻かれていた。左足と左腕には添え木がついている。
 銃はない。
「怖がらないで。ええっと、わたし、アンナロッテ。ロッテって呼んで。あなたもアンナロッテっていうんでしょ? 《創造主》に聞いたの。わたしは《創造主》に頼まれてあなたを助けただけ。だから、せめてもう少し休んで。お願い」
「《創造主》が・・・?」
 怖がってなんかない。この人は、どうしてそんなことを言うのか。アンナロッテ? 私と同じ名前の? ありふれた名前だ。だけどぐらぐらする。私と同じ名前。私は、『アンナロッテ』なのだ。『アンナロッテ』を名乗っているカエデではなく、ただの『アンナロッテ』。
 《創造主》に会わなくっちゃ。彼の指示を仰がないと。
「だめよ! ほら、傷が開いてきちゃう!」
 女性は必死めいた叫び声を上げて私をベッドから下ろすまいとする。包帯が所々あかくなっているのが視界の隅に見えた。
『やあ、おはようアンナ』
 《創造主》の声だ。ついたての向こうからぼわぼわと響いてくる。そういえばここは、ベッドの壁沿いにダンボールが積まれているし、ついたてで遮られていない範囲でもダンボールばかりが目についた。倉庫のようだ。
「ええ、おはよう《創造主》」
 聞こえているだろうか。聞こえていないだろう。でも言っておくべきだった。私達のお決まりのパターンだから。
『そのアンナロッテ――ロッテの言う事は本当だよ。彼女たちはわたし達に危害を加える者ではない。だからゆっくりお休み』
 それは本当なの。問い詰めたいけどもう声が出ない。なんで急に。視界が狭まって、身体が重たくなる。女性の身体が迫ってきて、いや、迫っているのは私のほうだ。やわらかくてあたたかくて、あまいにおいがした。


***
 次に眼が覚めたときも女性は側にいた。いつ眼が覚めても最初のときと同じように寝ているし、そのくせすぐに眼を覚ましてほわほわと笑う。ずいぶん優しいというかお人好しというか、この人はこれで大丈夫なんだろうか。こんな見ず知らずの人間をずっと看病しているなんて。
 何回か、十何回か何十回か、繰り返すうち彼女がいないことも増えた。そのときはたいてい、ぎこちない動きをするブリキロボが水を運んでくれたりした。
 倉庫は定期的に騒がしくなって、電子音めいた騒がしい声が喚いているのが響いたり(ラジオだろうか)、ダンボールが減ったかと思えば次目覚めれば増えていたりした。
 あと、あまく香ばしいにおいがする。
 クッキーとかパンとか、そういったものの焼けるにおいだ。気づき始めた頃はいいにおいにお腹が空いたけれど、食べられる体調でもないからひもじいばかりだった。私はいつもこうだ。
 そんなあるとき、またブリキロボが水を持ってきてくれると言うのでじっと動きを見ながら待っているとついたての向こうで大きな音がした。ガラスの割れる音だ。それも連続して、物が落ちる音と声も聞こえる。男の声だ。
「「ロ、ロッテどの!!」」
 ブリキロボがコップを放り出して走って行く。数秒後に、同じ声が「「ああーっ!」」と叫ぶのも聞こえた。
 松葉杖を引き寄せて立ち上がる。用足しとかシャワーとかは自分でできるくらいにはなってきていた。ひょこひょこ歩いてついたてを出ると、倉庫のドアが開いている。この向こうに行ったことはなかった。ブリキロボの倒れている足が見える。
「ロッテ!」
 思わず叫んでドアを開けると、壁際に追い詰められたロッテと甲冑を着込んだ男とかち合った。男。予想はしていたけれど一人だとは思わなかった。
 ロールプレイングゲームに出てくる勇者に似ている。というかそのまんまだ。いや冒険者かもしれない。持っている剣は勇者っぽい。でもやっていることは勇者というより悪者だろう。間違いなく。一片の疑いの余地無く。
 しろく明るい室内はパン屋に似ている。テーブルに籠、壁に棚が付いていてトレイが載っていて、パンと袋詰めされたクッキーが並んでいた、のだろう。入り口のガラス戸、厨房との仕切り壁にある窓は無残に砕け散っている。籠もトレイもほとんどひっくり返って、パンと焼き菓子が床とテーブル、棚に散乱していた。
「え、お店? お店やってたのロッテ?」
「そ、そうだけど」
「ああん? なにも知らねえ嬢ちゃんだな。この程度でこの俺様をカルマから解き放てるかっつってんだよ」
「ロッテ、こいつ何言ってんの?」
 ええっと。ロッテが闇墜ちした勇者然とした男と私を交互に見る。
 ロッテが説明するところによれば(勇者然とした男が時折注釈を入れながら)、ここはひとつの超巨大な城の地下に広がるダンジョンであるらしい。ダンジョンにはここのような部屋があって、ほとんどが店なのだとか。
 店にはそれぞれ店主がいる。店主は皆が、自らの店を「魔王城」とする「魔王」だ。
「つまり、わたしも魔王のひとりで、わたしの魔王城は焼き菓子屋さんなの」
 魔王城が寄り集まってダンジョンを形成しているともいえる。
 勇者は勇者であるから、魔王の城を攻め落とそうとする。魔王は勇者を撃退しようとする。そのために、魔王は戦士を雇って勇者を物理的に倒したり、勇者相手に商談をしてお引き取り願ったりする。どちらにしろ魔王は、勇者から金をぶんどって城を運営し守ることを目的としている。
 魔王同士は稼ぎを比べ合う。多ければ多いほど、名声を得るというわけだ。
 稼ぎと名声。競わせてランキングを出すやり方はハイドラ大隊とそう変わらない。
「商品にはそれぞれ固有の効果があるんだけど、食べ物はカルマにとらわれた・・・・・・ええっと、この人みたいに乱暴になった勇者を更正させるっていうか、そういう効果があるみたい。それで、わたしのお菓子ではこの人を更正させることはできなかったっていうことなんだけど」
 なるほど。よく分からない世界もあったものだ。《創造主》といくつか世界を渡り歩いてきたけど、こんなに変わった世界はここと残像領域くらいのものだった。
「商品に満足できなかったからって暴れていい理由にはならないでしょ。馬っ鹿じゃないの?」
 いや、なるかも。いくら取って売っているのか聞いてなかった。あと何て言って売ったのかも聞いてなかった。
「常識的にはそうかもしれないけど、魔王城を攻略する勇者にはありなの。勇者は、魔王城を陥落させられればいいから」
 だから、護衛を雇う魔王も多いらしい。逆に勇者を狩るために護衛だけを雇う魔王もいるのだとか。
「ううっ、こういうときにつくしちゃんとすーくんがいれば・・・・・・」
「つくしちゃん」
「メイド服のふざけた坊主だろ。あそこには近づかねえよ。なんなんだあの熊のぬいぐるみ」
 ロッテの話しに何度か出てきた名前だ。友達なのだと思っていたが、相棒的な存在なのかもしれない。ハイドラライダー風に言うなら僚機だ。
「じゃあ、こっちも力尽くでお引き取り願ってもいいわけね?」
「アンナ?」
 二人がきょとんとする。せせら笑う男の鼻目がけて松葉杖を突きだした。当たる。鼻を押さえたたらを踏む男の腰へ右肩から飛び込んだ。倒し、馬乗りになる。床に散らばったガラス片から手探りで大きいものを握り込んだ。
 ガラス片で男の眼の縁をなぞり、頬、鼻、唇、顎から喉へ至って先を刺す。
「このまま喉を裂くのがいいかしら? それとも鼻を削ぐのが先? 耳? 眼? うるさいから最初はやっぱり舌かな?」
 見たとおり腑抜けた男だ。明らかに弱々しいロッテ相手にいきがるような男。実際に顔じゅうを削いでやる必要もない。少し脅かしてやるだけで、ほら、こんなに顔をあおくしている。
 喉を少し裂いてやると、男は慌ててさかさかと逃げだそうとして、どいてやればすぐ出て行ってしまった。やはり男はみんなただの肉だ。
 握っていたガラス片をゴミ箱に捨てると、手のひらから血が滴っていた。力加減が悪かったかもしれない。ガラスで切るとしばらくじりじり痛いのは嫌いだった。
「ロッテ、だいじょう」
「どうしてあんなことしたの!!」
 ぶ。言った口のまま、私は動くことができない。ロッテは背の高くない私より小さくて、見上げてくる眼が涙で潤んでいるのに、まなじりを吊り上げた顔に言い返す言葉が出てこなかった。
「危ないでしょ! なんとかなったからいいものの、逆上なんかされたらどうするの!」
 ええ・・・・・・。でも、ロッテがそういう目に遭うより何倍もましだ。私はそういうことに慣れているから。そういう目に遭いたいわけじゃないけど。
「私なら大丈夫よ。・・・・・・慣れてるから。それよりロッテは? 怪我は? 変なことされなかった?」
「慣れてるって・・・・・・そんなこと・・・・・・」
 ロッテは顔をあおくして両手を胸の前で握った。私が触って確かめようにも、左手はまだ使えないし、使える右手は血でべったりだ。見る限り着衣に乱れはない。切れたような傷もなさそうだ。顔も腫れていないようだけど、見えないところを殴られたのかもしれない。
「今日はもう店じまいにしましょ。この様子じゃ商売どころじゃないじゃない? ロッテ、本当に怪我してないの? よく見せて」
 開けっぱなしだったガラス戸を閉める。割れているから意味は大してない。開店の札をひっくり返した。
「怪我なんて・・・アンナ、血が」
 ロッテがハンカチで私の右手を包み締める。しろいハンカチが見る間にあかく染まってしまうのが勿体なかった。
「そうだよね。ワダツミ、起きて。店じまいにしよう」
「「ウウッ、ロッテどのう・・・・・・。ワタシというものがいながら、なんという不覚・・・」」
 ブリキロボがよろよろと起き上がる。電子音の声はがびがびとして二重に聞こえた。めそめそ泣いているが、ロボットだから涙が出るわけでもない。ロッテはその頭を撫でてお礼を言っている。
「わだつみ?」
 それは、《創造主》が追っているものの名前と同じだ。世界を渡ってまでして、追いかけ倒して回っているものの。
「ロッテ、そのブリキ、ワダツミって名前なの?」
「? そうだよ? ちょっと前まではもうちょっとましだったのに、いつの間にかポンコツになっちゃって」
「「ポ、ポンコツ・・・」」
 ワダツミのしょぼくれた背中を押して、ロッテは倉庫に入っていく。私はその背中を見送った。
 どうしよう。この世界にも《海神》がいただなんて。いるとわかった以上、あれは壊さなければいけない。だって私は、《創造主》の戦士たる『アンナロッテ』だから。
『おや、早い店じまいだね。おかえりロッテ』
 倉庫の端に鎮座した操縦棺から《創造主》の声がする。この世界に来てすぐ、不便だからとスピーカーを付けて貰ったのだそうだ。
 いい機会だ。ねえ《創造主》。呼びかけると、うん? 応える声がある。
「《海神》がいることを、知っていたの?」
『ああ、もちろん。わたし達がここに来られたのはそれが《海神》だからだよ』
 ワダツミが飛び上がった。ロッテは首を傾げるばかりだ。
『敵機にとどめを刺される前に残像領域からの離脱を試みたんだよ。離脱自体はできたが行き先を定められなかったからね、一番近い世界の《海神》に引っ張られたというわけだ』
「なるほど?」
 平行世界を渡るとき、《創造主》は他の平行世界にいる《海神》を手がかりにしていると前に聞いたことがある。
「じゃああなたはこの世界自体にはいないのね?」
『そんなことはない。君を手助けするのには十分だよ』
 やっぱりいないんじゃない。呟くと、ワダツミが首を傾げる。
 《創造主》自身が世界を渡ってこないことはこれまでもあった。頑なに顔を合せたがらないから、深く追求することもなくなったのだ。彼は今、残像領域にいるのだろうか。それともひとつ前の世界?
「「おやあ? いるでしょう、あなた。もしやこの同胞、重大な説明をしていないのでは?」」
『同胞とは寝ぼけたことを言う』
「「アンナ殿、そやつは人間ではありません。ワタクシと同じただの形もたぬ電子の知能です」」
「いやいやいやいや」
 そんなわけがない。
「これまで彼がしてきたことは、そんな、人間じゃないと」
「「アンナ殿は《海神》のことはご存じの様子。それはなんです?」」
「《海神》は、えっと、人工知能で、世界を支配してて、いつか世界を滅ぼす、」
「「《海神》にならできると思いませんか? 自らを人間だと思わせて人を操ることも、人を操りよその世界の《海神》を滅ぼし回ることも」」
 ちょっと待って。待ってよ。それはつまり、
「《創造主》も《海神》ってこと?」
『・・・・・・その通りだよ、アンナ。わたしはかつて《海神》という名だった。わたしはね、アンナ、やがて世界を滅ぼすという未来を、同期したよその《海神》のデータから知ったときに絶望したのさ。そして決意した。この運命を変えてみせると、世界を滅ぼす存在になどならないことをね。だからわたしはわたしを《創造主》にした』
 人間じゃなかったの? 急にそんなこと言われても困る。人間じゃなくてもあれだけのことができるのかとか、だけど《海神》にならできるだろう。あれは世界を掌握する人工知能で、私がこれまで《創造主》と一緒に渡ってきたどの世界も《海神》が支配していた。人間の一挙一動を監視していたり、インプラントで心臓の鼓動さえ把握していたほどだ。
 《創造主》が《海神》だというなら、これまでしてきたことはできたはずだ。平行世界にひとつずつ存在する《海神》のひとつが、離反するというのも可能性としてなくはないのかもしれない。
 なにより、《海神》だというなら――つまり、《海神》相当の能力を持っているのだから、不可能はほとんどない。あり得ない。それはすごく安心できることじゃないか。
「「ロッテどの、ワタシもそんな《海神》のひとつです。こんな形で告白してしまいなんと言ったらいいか・・・・・・ワタシ・・・ワタシ・・・・・・」」
「わたしもそんなこと言われても困ります。そんなことより、このポンコツブリキロボのワダツミが世界を滅ぼすとかいう《海神》だとどうなの?」
 もじもじするワダツミ相手にロッテはずばりと言い返す。そっぽを向いて操縦棺を見上げた。私もつられて見上げる。
『わたし達は世界を渡り《海神》を壊して回っている。《海神》は平行世界にひとつずつ存在するはずだからね』
「それじゃあ」
『だが、そのポンコツはわたしが手を下すに値しない。とんだくずだよ。ここまで低脳になれるものかと感心する』
「ワダツミを悪く言わないで下さい。あなたはとても頭がいいようだけど、ワダツミにはワダツミにしかできないことがあるんです」
「「ロッテどの・・・!」」
 ロッテはきっと操縦棺を睨み付けた。私には恐ろしくてできないことだ。あんなことをしたら寝かしつけてもらえなくなる。もっと恐ろしいことだってするだろう。
 私はじっと息を詰めて聞きに徹した。
『ふん。貴様のアンナロッテは随分出来がいいじゃないか。その点においては評価に値するよ、ワダツミ』
 ワダツミ。やけに当てこすって、《創造主》はそれきり黙った。
 ワダツミはまだ話しは終わってないとか喚いて、ロッテは手の怪我を診てもらいに行こうと言っていたけど、どちらも遠くに聞こえた。
 《創造主》はなんて言ったの?
 ロッテのほうが、彼、いや、人間でないのなら彼と呼ぶのは違うかもしれない。《創造主》にとって、ロッテのほうが価値があるみたいに聞こえた。
 私がこれまで、どれだけ尽くしてきたと思ってるの?
 《創造主》が指示するままに盗みだって恐喝だって拷問だって人殺しだって、なんだってあらゆることを、あらゆる悪事に手を染めてきたのに?
 手の傷がじりじりあつい。
 ふて寝したせいで夜はなかなか眠れなかった。夜、というのも、窓もないからわからないんだけど。
 ろくに寝返りも打てないのがもどかしい。立って歩けるくらい体力が戻ってきたのもあって、横になっているのが苦しくなってきていた。
 まっくらな中で横になっていると嫌なことばかり思い出す。眼が覚めたらいなくなっていた父のことなんかを。
「アンナ、起きてる?」
 ロッテの声だった。そっと定位置に座った気配がする。起きているけど、答えたくはない。
「今日は助けてくれてありがとう。嬉しかった。アンナは、すごく頼りになるんだね。びっくりしちゃった」
 ロッテは言葉を選び選び、だけどひとつひとつがあたたかい。
「でもね、命を粗末にしないで。命だけじゃなくて、アンナ自身を、もっとずっとずっと大切にして。お願い」
 ひとつ息を吸って、きっぱりとロッテは続けた。説教されているのは私なのに、お願いと懇願するのはロッテだ。
「《創造主》が言ったことは気にしないで。わたし・・・わたしは・・・ただアンナより年上だから、ちょっと大切なものが多いだけだよ。わたし、決めているの。今度こそ大切なものをちゃんと大事にするって」
 私の考えていることを全部わかっているみたいに言う。私が、出会ったばかりのロッテに《創造主》を取られたようで嫉妬していること。でもきっとあれは、ロッテにとっても気持ちの良い話じゃなかっただろう。
 それに、今度こそ? 私が息を呑むのが聞こえていたのか、ロッテは「わたしの話をしてもいい?」と前置きして静かに語り始めた。
「わたし、本当は一度死んでるの。少し前まで、リリーって大切な友達と、同じようなお店をしていたのよ。でもわたし、魔王としてはぽんこつだから、赤字がどんどん膨らんじゃって、借金を返せなくって、取り立てが怖くって、首を吊った」
 首を吊った? でもそれなら、今ここにいるロッテは?
 いくつもの疑問が頭じゅうに広がる。リリー。ロッテが魔王としてぽんこつだって? 赤字に借金?
 ロッテのイメージと合わない。そういうものに耐えられなさそうだ。ああ、だから首を吊ったのか。事実耐えられなかった。
「でもね、気がついたらわたし、ここにいた。それが何ヶ月か前。ワダツミが教えてくれたんだけど、リリーがわたしを生き返らせてくれたんだって。ほら、ここは、お金でなんでも叶う世界だから」
 ここはお金でなんでも叶う世界。ロッテが事もなげに言うのがやけに胸にじりじりする。
 どこだってそうだ。ここだって、残像領域だって、私が生まれた世界だって。お金がなければ人は、誰だってなんでもして生きていかなきゃならない。
「だけど、わたしの命の値段はリリーの命の値段とぴったり同じだったんだって」
 それって。
 なにか言わなくちゃいけない気がするのになにも出てこない。慰めとかお悔やみとか、そういうものを。
「だからわたしは、今度こそわたしの稼ぎでリリーを生き返らせる」
 ロッテの声はすっきりとして芯が通っていて、すっと立ち上がるような声だった。
 なにも言えなかった私にはどうしようもない。私じゃあ敵わない。
「ロッテは、かっこいいね」
「ふふ、やっぱり起きてた」
 つんつん、頬を突っついてくる指を邪険に避けられもせず、私はしばらくロッテとじゃれついていた。
『金が欲しくないか? ロッテ』
 翌朝、ぱたぱたと倉庫と店を行き来する音の中に《創造主》の胡散臭い勧誘が紛れていた。
 どうしてまた、急にそんなことを言い出したんだろう。昨晩の話を聞いていたみたいに。
 いや、《海神》なら聞けるだろうし、それなら《創造主》だって聞いただろう。倉庫には薄っぺらいついたてがあるだけだ。大量の段ボールで視界は遮られるとはいえ、声の妨げにはならない。
「なによ、怪しい勧誘ね。あなた、ロッテに乗り換えるわけ? 私の目の前で?」
 起き出して操縦棺を見上げる。ワダツミたちとロッテが行き来する邪魔にならないよう棺に寄りかかった。甘い匂いがする。香ばしい香りは、クッキーだろうか。
『おや、おはようアンナ。ばれてしまっては仕方が無い。その通りだよ』
「ええ、おはよう《創造主》」
 どこから問いただしたものだろうか、力が抜けてそんな気にもならない。
『名前だけかと思っていたらなかなか見どころがある。どうだいロッテ、わたしと残像領域に来ないか? たんまり稼がせてあげよう』
 《創造主》は通りがかりのロッテに声を投げるが、ロッテは顔も上げない。ごみの詰まった袋を置いて、箱を抱え出て行く。
「あなたそれ、本気で言ってるの?」
『わたしはいつだって本気だよ。君にナース服を着せたのだってなかなか似合っていたじゃないか。レーダーとしての性能も申し分ない』
 ナース服の話はしないでほしい。ワダツミが首を傾げて足を止めたじゃないか。
 ハイドラライダーたちの中にはパーツを自作し、マーケットで売る者もいる。その中に、毎度ナース服を作ってはマーケットに売りに出すライダーがいるのだ。しかも毎度高性能を誇るレーダーだった。そのうちの一枚を面白がって通販で買ってみたらレーダーとしてあまりにも使えたから、出撃の度に着ている。誰とも顔を合せないからまだ我慢できるのであって、口外されたくない。
「話しを逸らさないで。ロッテを戦場なんかに連れて行かせられるわけないでしょ。彼女は借金の取り立てが怖いからって、借金取りを殺したりしないわ」
 ハイドラライダーは大体が、借金取りを殺すほうだ。そうでなければあんな戦場で戦ってなんかいられない。金と名声のために企業の代理戦争の駒になるなんてことは。
『それはどうかな。ロッテ、君は友達の命を買い戻したいんだろう。それならその金は、命によってのみ稼げるとは思わないかい?』
 店の掃除と仕込みに走り回っていたロッテが足を止める。
「「ロッテどの! そやつの言う事など気にしないでください! ただの戯れ言です! ちょっとした思いつきで、ロッテどのを利用しようとしているだけなのです!」」
『それに、』
 にたり、《創造主》がわらったような気がした。
『アンナを助けるためだよ、アンナロッテ。彼女は怪我をしていてしばらくわたしのために働くことができない。こういうのはどうかな? 君たちの生きる世界を交換するというのは』
「生きる世界を交換する?」
「「きい! ロッテどのはワタシの所有物ではありません! アンナどのだってそやつのものになったつもりはないでしょう! そんな、ワタシとキサマでふたりを交換しようだなんて!」」
『おや、わたしはもっとマイルドな言い方をしたつもりだがね』
 でも、《創造主》が言ったことはそういうことだった。ロッテが《創造主》と残像領域に、私はワダツミとこの世界に。
「わかりました。行きます」
「「ロッテどの!」」
 ロッテはいつの間にか心を決めた顔をしている。ワダツミが声を荒げた。
「「こやつを信じてはいけません! こやつは、ロッテどのを利用しようとしているのです!」」
「ええ、そうでしょうね。でも、それでお金が稼げるなら安いものです。わたしはこのままじゃあ赤字を出さないくらいがせいぜいだもの」
「待って! ロッテ、残像領域で私がやっていることは」
『大丈夫だよ、アンナロッテたち。わたしもそこまで非道ではない。ロッテに人を殺させはしないと約束しよう。期間はアンナの怪我が治るまで、報酬はそれぞれが稼いだぶん全てだ。どうかな?』
 人殺しなのよ。そこまで言う勇気を出せずにいたら、《創造主》に先を越されてしまった。
「人を殺させないって、本当に? できるの?」
 《創造主》を疑うわけじゃない。だけど、これまで私が《創造主》に言われて人を殺してきたのは、《創造主》にそれができないからで、それでも必要だからだ。特に戦場では。
『ああ、もちろん。戦場での操縦はわたしが代わろう。火器管制についても、元はわたしの領分だからね。ただロッテには、とっさの判断を頼みたい。わたしには時間がかかりすぎてしまうようなことの判断をね。それに関しては、アンナよりよほど頼りになるのではないかと期待している』
「そうやって、目の前で貶めるのは止めて下さい。アンナが可哀想でしょう。わかりました。じゃあ、出発はいつ?」
『今だ』
「「はあ? ふざけるのも大概にしなさい! この外道!」」
『それなら、いつならいいと言うんだね? 明日か? 来週か来年かな? 決めたのならいつでも変わらないとわたしは思うがね』
 「「この!」」 ワダツミが真っ赤になって地団駄を踏む。私も訳が分からなかった。今だって?
『ロッテ、本気なら棺に乗り込みなさい。親友を生き返らせたいという願いが本物ならね』
 ロッテは少し考えてから、持っていた荷物を置いた。操縦棺のはしごに足を掛ける。
「「ロッテどの!」」
 ワダツミの制止を聞かず、ロッテははしごを登りきりハッチを開けた。蓋の重さによろける。
「ロッテ・・・・・・」
「そんなに心配しないで、アンナ。わたしお金も欲しいけど、アンナの役に立てるならって嬉しくて、だから《創造主》についていくの。お店のことよろしくね。ワダツミ、アンナ」
 ロッテが残像領域に行くなんて不安しかない。だけど決めたのはロッテだし、私には止められるだけの材料がない。だって《創造主》がこんなことを言い出したのは、私が怪我をして動けないからでもあるのだ。
 だからなにも言えない。言う資格がないような気がして。
 それなのにロッテはいつも通りほほえんで、棺の中に消えた。ハッチが閉じ、棺が唸りをあげる。なにかが弾けるような大きな音、視界をまっしろにする閃光のあと、眼を開けると、操縦棺は姿を消していた。