ロッテの霧中

◆ ◆ ◆
『やあ、おはようロッテ』
 ざらついた男の声が響いている。金属の、ぼわぼわした反響した声は耳慣れなくて声がどこからなのかわからない。
 暗くて狭い。汗臭くてむっとする。
 ちかちか光る点があった。触ると、スイッチだ。どきどきしながらゆっくり押す。
 ぱっ、と目の前が四角く明るくなった。画面。
『ありがとうロッテ。成功だよ。ハッチを開けるから外を見てみるといい』
「《創造主》・・・・・・」
 《創造主》。これは、《創造主》だ。口に出して確認したわけじゃないけれど、自分に言い聞かせる必要があった。なんでだかはわからない。
 画面は灰色一色だ。がこっ、頭上で金属の動く音がした。《創造主》が言ったとおり、ハッチが開いたらしい。
 すっかりよたった膝を伸ばしてハッチを押し開ける。重たい。汗をかいて上体をハッチから出すと、冷たくて身震いした。空気がじっとりとして重たくて、ひんやりしている。視界はぐるっと灰色だ。
「霧・・・・・・」
『アンナに聞いていただろう。おや、またここか。現在地を確認した。アンナと初めてここに来たときは戦場だったが、今は違うようだね。良かったじゃないか、ロッテ』
 口から転げ出ただけの声に、《創造主》は揚げ足を取るように反応する。ぺらぺらとまくし立てた。
 ぐん、操縦棺が動き出す。中へ落ちそうになるのを、ハッチのへりにしがみついてなんとかしのぐ。
 進んでいる方向と、わたしが向いている方向は一緒だった。霧を裂く、というより飲み込まれていくみたいだ。ちょっと進んだばかりでは全然風景は変わらない。たまに突然影が現れて心臓が止まるかと思った。
 視界がきかない深い霧。どこまでも続いてどこまでも覆っている霧は晴れることがない。こわいところだよ。アンナが言っていたっけ。
 たまに止まり、すぐ動き出したり、ぐるりと方向転換して進み始めたりする。
『おや』
 操縦棺は止まって、動き出す気配がない。少し先にぼんやりと四角い影が見えた。建物みたいだ。でも灯りはついていない。操縦席を覗くと、画面の表示がひとりでに動いている。いくつかの地図、画像を見比べているようだ。
『ここにダイナーがあったのだがね。化かされたかな。ふむ・・・・・・しかしこれほどとは・・・・・・』
 少しずつ影に近付いていく。追突するすんでのところで止まると、やっと全景が見える。横長に四角の建物だが、かなりぼろけて風化している。屋根もなく、壁と柱だけが残っているようだった。
『ふうむ。妙なことがあるものだ。拠点へ向かうとしよう。ロッテ、中に入っていなさい』
「ここに用があったんじゃないの?」
 降りようと身を乗り出していたのに、機体は後退して方向転換する。
『もうなくなった。こうして化かされることがよくあるんだよ、残像領域にね』
 大きく上下に揺れた。中へずり落ちそうになる。なにかを乗り越えたようだ。なんなのか前のめりになって確認するより、大人しく中へ入った方が良さそうだった。
 操縦席におさまっていると、操縦桿のレバーやペダルなんかが、勝手にきこきこぱたぱたと動く。画面もぱちぱちと目まぐるしく切り替わった。
「あっ、これが地図? 目印もないのにどうやって現在地がわかるの?」
『意外に好奇心旺盛だな、ロッテ。レーダーで周囲をスキャンしたデータを元に地図を作ったんだよ。これは辺りを走り回ったアンナの功績だがね。現在地は、現在のスキャンデータに類似する地点を検索しただけのことだ。これはわたしでなければ不可能だがね』
 《創造主》の声は得意げだ。
 霧が濃く視界情報に乏しいため、電波で地形や障害物になり得るものへの距離や大きさなどを測定するのだという。続く講釈で理解できた。特に戦場では、眼となり耳となるとても重要な役割だとも。
『アンナが好き好んで索敵機をしているんだ。わたしとしても、危険性が少なくデータ取りできて助かっているがね。あの子はあれで怖がりだから』
 《創造主》の声は無機質なもののはずなのに、温度めいたものを感じた。あたたかくて冷たい。
「《創造主》って、意外といいひとなのね」
『ひとではないよ、ロッテ。意外も余計だが、ふふん。受け取っておいてやろう』
 到着したのはあばら屋だった。操縦棺内にぶら下がっていた鍵で解錠し、シャッターを開ける。
 そうして振り返ったとき、やっとわたしがこれまで乗ってきたものを見た。
 戦車だ。降りるときにもびっくりしたけれど、見上げてみるととても大きい。十何メートルもの高さがありそうだった。この上で身を乗り出していたのかと思うとぞっとする。動いている間に落ちていたらひとたまりもなかった。
 つんつんと数本立っている金属棒がレーダーだろう。ひん曲がっている。
 魔王城の倉庫にいたときは操縦棺パーツだけだったのに、それ以外はどこから来たのだろう。
『ああ、あの辺りで転がっていたハイドラの残骸から拝借したのさ。世界を渡ってくるついでにね。それくらいの超能は我々の範囲内だよ』
 聞いてみると、《創造主》は当たり前に答えた。我々。《海神》のことだろう。だからきっと、ワダツミにもできるかもしれない。ううん、できないだろう。メイビー。
 機体が入りきるのを待ってシャッターを閉めた。ヘッドライトを頼りにランタンを見つける。生活用品が隅にひとかたまりになっていた。流し台、コンロに鍋、フライパンなどもいくつか見つけたが、使った跡はない。山積みになっている固形食糧を食べ崩していたみたいだった。
 アンナ、だから痩せっぽっちなんだよ。
 ため息と一緒にちょっと怒る。もっと色々食べてもらえばよかった。初めてケーキを出して、食べたときのアンナの顔が忘れられない。びっくりしてまん丸に見開いた眼、髪の毛まで逆立ったみたいで、ずっともぐもぐしたまますっかり平らげてしまった。
 こんな生活をしていたなら、甘いものなんて食べられないよね。
 昨日までわたしがいた場所にいる、同じ名前の少女が心配になる。ワダツミとちゃんとやれているだろうか。つくしちゃんとは? 弥生さんとは? 儲けとかいいから、ううん、潰れない程度に頑張ってほしいけど、ちゃんと食べて早く怪我を治して、もっとちゃんとした生活をしてほしい。
 そっか、それには、わたしも頑張らなくっちゃいけないよね。
 ぐっ、拳を握りしめてひとりで頷く。よし、ひとまず食糧の買い出しへ、
『さてロッテ、早速だが次の出撃へ向けてパーツを買ってもらいたいのだがね』
 《創造主》の声に引き戻された。


***
 初めての出撃は要塞の攻略戦だった。
 《創造主》は大したことないように言っていたけれど、ミサイルが真横を通り過ぎて行ったり、地図上で味方機が次々とロストしていくのを目の当たりにしてわたしはぶるぶる震えていた。空中要塞の名にふさわしく、空中に浮いているらしい要塞は巨大だった。視認できるほどの距離にいないからデータ上で見ただけだけど、ずんぐりとした楕円の構造物にはいくつかの出入り口があるらしい。ぐるりと取り囲むように配置されたミサイルキャリアー――消えては現れる、ミサイルを山と抱えた小型の飛行機体――の隙間を、いくら落としても埋める敵機がある。
『そう青い顔をしなくても大丈夫だよ、ロッテ。わたしたちの配置ブロックが本隊でなかっただけだろう。こちらに引きつけているから多く見えるだけだよ』
 どこかのブロックがとっくに突破して中へ入っているだろうさ。
 《創造主》は機体をのんびり操る。飛行ユニットひとつで無理矢理飛んでいるせいでたまにがくりと落ちて、高度を取ることを繰り返していた。不意に上下へ、ふらふら左右へ動く操縦席はお腹の中がかき回されて気持ち悪い。
「どこかのブロック?」
『そうだ。戦場はいくつかのブロック分けされ、ライダーたちは毎度どこかに配置されている。強敵に当たるかどうかは運次第だよ。わたしとしてもロッテとしても初出撃だからね。あの中に入れないのは残念だが、死ぬよりはいい。・・・・・・それにしてもあのミサイルキャリアー、なぜあんな動きができるのだろうね? 太古の遺物のお陰かな。実に興味深いじゃないか』
 《創造主》がモニター上に映ったミサイルキャリアーの姿をズームする。と、回転翼を頭に持ち、丸いからだの両脇にミサイルを抱えたミサイルキャリアーの姿が忽然と消えた。《創造主》は即座にスキャンをかけているが、捉えられなかったようだった。そしてその地点へ味方機が攻撃する。姿を消されるのに間に合わなかったらしい。攻撃は通り過ぎた。ミサイルキャリアーは、ただ姿を消しているのではない。すぐに移動して別の場所に出現している。
 《創造主》は次に観察するミサイルキャリアーを探して、操縦棺内にアラートが鳴った。けたたましい音が耳を貫く。頭の中まで揺れて、すっぱいものがせり上がってきた。
『ああっと。見つかった』
 機体が旋回する。モニターに、別の敵機が映った。ミサイルキャリアーに似ているが小さく、ミサイルの代わりに機関銃を釣っている。
 操縦棺が揺れる。ばちばちと、がんがんと、上下左右から音がする。響いてどこからするのかがよくわからなかった。尻が浮かぶ。下へ、急降下して――ちかちかするモニターを見るに、飛行ユニットに損害があったせいだろう。え、待って、これって撃墜されてる?
「え、え! 《創造主》!」
 すがるような悲鳴が出た。ふわり、降下が止まって上昇が始まる。
『ふふふ。少し当たっただけだ。この程度ではわたしを墜とせないぞ』
 がんがん、再び同じ音が響く。アラートは鳴りっぱなしだ。これはロックオンされた警告音だろうか。
 機体はよろめいて、ふらふらと左右に揺れる。響く音がまばらになった。
『ふうむ、仕方あるまい。反撃だ』
 データ上に円が乗る。積んだ砲塔とミサイルの射程範囲だ。範囲内の点――わたしたちを追いすがる敵機にロックがかかって、砲塔が回る。砲身が持ち上がり止まった。
『火器管制までも、わたしにかかればどうということはない。さあ、トリガーを引きなさい』
「え、え、え! ちょっと!」
 ロックをかけた敵機が素早く射程を外れる。すると砲塔が再び回る。ほかの標的を見つけ、砲身の角度をとった。
 ばちばち、機関銃の当たる音が響く。頭の内からがんがんして、視界がちかちかしてきた。
 機体が移動し、旋回し、砲塔も回る。モニターに映るのはさっきの敵機だ。アラートが鳴る。機関銃がこちらを向いていた。
『ほら、やらなければやられてしまうぞ? わたしは操縦は得意ではないんだ』
 やらなければやられてしまう。ぞっとする。尻が浮いて、落ちていく感触。すぐ横ででも見た機体の爆発。塵のように落ちていく機体たち。あれのひとつになる。
『一度死んでいるんだ、また死んでもなんということはないのだろうがね。だがねえロッテ、生命を買おうとするならば、代わりの生命を自らの手で刈り取らねば』
 釣り合いがとれないだろう。
 《創造主》の声は残酷に頭の中で響く。
『それともあれは、君の生命を釣り合わせるためのものかもしれないな。ロッテ』
 君は現に生きてしまっているのだから、あれは殺さねば。《創造主》がそう言ったのか、自分が頭で言ったのかはわからない。
 そうだ。確かにわたしは、生き返ってしまったツケをどこかで払いたかった。
 そうだ。そうだよロッテ。《創造主》の声がやけに近い。操縦桿を握る。勝手に動くままに腕が振り回されるのを任せて、トリガーに指をかけた。引く。
 機体が後ろ方向へ吹き飛んだ。遠のいて行く敵機の爆発を視界の端で見た。反動に振り回されて下降する動きに身体がついていかない。手が袋を見つけるより先に、胃の中身が口から流れ出て止まらなかった。
『おめでとう。よくやったね、ロッテ』
 《創造主》の猫なで声に吐き気がする。こんなことは、褒められることでもなんでもない。


***
 水で洗い流せてしまえばいいのに、《創造主》が頑として譲らなくて操縦棺の中を掃除するのは骨が折れた。あれからもしばらくめちゃくちゃな方向へ揺れ続けたせいで、操縦棺の中はすっぱいにおいが充満していた。掃除中にまた吐きそうだった。
 掃除に半日かかってしまった。食欲はなかったけれど、だからこそしっかりしたものが食べたい。またあのぼそぼそした固形食糧を食べる気にはとてもなれなかった。
 水洗いした服をコインランドリーで洗濯機にかけ、通りを街頭沿いに歩く。今日は霧がうっすらとしている。ぼんやり街頭の姿が見えた。
 料理がしたい。切ったり、焼いたり、煮込んだり、捏ねたりしたい。わたしはあの戦場でしたことや、これからやるだろうことを、どう思っているんだろう。なにもせずにいるのがなんだか恐ろしい。慣れたことで手を動かして頭の中を整理したかった。
 アンナの行きつけのお店には生の食べ物を売っていなかった。道沿いのお店で食糧を扱っていそうなところに片っ端から入ってみる。
 だけど、野菜はどこにも売っていなかった。辛うじて見つけたのがイモだ。ハイドラのパーツよりも高くて買う勇気が出なかった。聞いたところによれば、本物の野菜なんかは温室でしか育たないから非常な高級品らしい。魔王城で生活していたときも野菜は外から持ってくるしかないからとても高かったけれど、ここまでではなかった。
 結局、コインランドリーで洗濯物を乾燥機にかけてアンナ行きつけのお店で買い物をする。
 よくよく見てみるとラベルに野菜が描かれた缶詰が数種類並んでいた。それでも少し高価だ。イモとかニンジンとかの水煮に見える。書いてはあるようだけれど、わたしには残像領域の文字が読めなかった。マーケットのカタログは全部《創造主》に翻訳してもらっている。
「あの、すみません。この缶詰って水煮ですか?」
「水煮?」
 いつもいるお店のおばさんに尋ねると、怪訝に聞き返されてしまった。残像領域には水煮の加工品を売っていないものなんだろうか。
「えっと・・・・・味の付いている缶詰なんでしょうか」
「ああ、そういうことね。野菜の味以外は付いてないよ。野菜味の合成食糧だからね」
「野菜味の合成食糧」
 おばさんが説明してくれたところによると、バイオ合成したタンパク質に香料なんかで味付けしたものらしかった。土地は痩せているけれど、科学技術ばっかりが発展した――そうでなければここで人は生きていけなかった――おかげで、こういった食べ物をみな食べているのだという。
「もうちょっと高いやつだと、栄養とか食感とかも再現してるらしいよ。うちには入らないね」
「そうですか・・・・・・」
 とりあえずいくつか買ってみたものの、調理したらどうなるんだろう。崩れてどろどろの物体になったら嫌だな。
「お嬢ちゃん、このへんはあんまり良いとこじゃないから早く越した方がいいよ。そういや、女の子を見なかったかい? 同じことをずっと言ってたから引っ越したんだといいんだけどねえ。ちょくちょく来てたのに、このひと月とんと見なくてさ。十五、六の、青い髪の子なんだけど。ふらふらして見てて危なっかしくてねえ」
 アンナ。アンナだ。おばさんが商品を袋に詰めながら話すのに、「わたしが入れ替わりで来たんです」なんて答えるのも変だと思う。隠し立てするようなことじゃないんだけど。
「元気にやってると思いますよ。たぶんですけど」
 わたし以外にもアンナを心配していた人がいてくれたことに、顔が緩む。よかった。アンナには、帰って来れる場所がある。
 帰って来れる?
 それってどういう意味だろう。それにひんやりしたのは、うきうきと缶詰のスープを煮込んでいる最中だった。