アンナの魔城

◆ ◆ ◆
「そういえば、アンナちゃんはワダツミの仕組みって知ってる?」
 ロッテのお茶会仲間のつくしが、ぽんと思い出したように首を傾げた。
 ロッテと別れてしばらくが経つ。私は足もすっかり治って、ちょっとぎくしゃくしながら松葉杖なしで歩き始めているところだった。
 ロッテと別れてから一週間ほど経ったころ、訪ねてきたのがつくしだった。ふりふりのメイド服を着た女の子、に見えた男の子。女装したいのではなく、かわいいものが好きでかわいいものを着たいのだそうだ。私にはよくわからないけど、そういうこともあるだろう。背丈は私と同じくらいで、大体いつもおんぶ紐でくまのぬいぐるみを背負っている。すーくんだ。
 彼らは突然ロッテの代わりに現れた私にも親切にしてくれて、なかなか助けられている。こうやってお茶しに来てくれるのも嬉しい。
「ワダツミの仕組み?」
「うん。ロッテちゃんが気にしてたから。なんかあったら伝えとくといいと思うよ! おすすめ!」
 ふんす、つくしは鼻息荒く頷いた。つくしはこういうとこが見ていてすごくかわいい。ロッテとのお茶会なんてさぞかわいらしい絵面なんだろう。いつもロッテとなにを話しているのか聞いたら「・・・・・・ワダツミの叩き伸ばし方とか?」なんて答えられたのはちょっと忘れることに決めていた。
 ワダツミはロッテと別れてから、私にあれやこれやと店の準備を教えてくれた。料理がてんでできない私に代わって、ロッテのレシピで商品を作ってくれる。今もばしんばしん音を響かせながらパン生地を捏ねていた。
 ・・・・・・ワダツミの仕組み。
 つくしとロッテがその話しをしたのは私が来る前だろう。ロッテがまだ、ワダツミが《海神》だと知らなかったとき。
 《海神》にはほとんど不可能がない。それでも私がいくつかの《海神》を、《創造主》の指示のもと壊すことが出来たのは、物理的には無力であるからだ。彼ら、あるいは彼女らは、電子の知能であるためにほとんどの電子機器を自在に操り、人を操りまでする。《創造主》が私にするように。けれど電子の知能であるために、本体はただのデータであって、それを収めるチップないしは巨大なデータサーバーだ。いかに厳重に警備し守っても、それが突破されてしまえば抵抗することはできない。
 その欠点以外はなんでもできる、というか、ワダツミはそれを克服しているような気さえする。ロボットに《海神》自身を収めてしまうという発想は、本体を自衛することができる。だけれど問題は《海神》の容量の大きさだ。私の想像を絶する容量を誇る本体なのだろうか。
 それに加えて気になるのは、ワダツミがいくつか存在していることだ。乗るとビリビリする電気床としてのワダツミが二体、商品を作るためにブリキロボの形をしたワダツミが三体くらいいる気がする。毎日いつでもうるさくてかなわない。あのロッテがバットで凶行に及ぶのも頷ける。
 そう考えると、ワダツミの本体は他の《海神》と同じように別に存在し、いくつかの形状のロボットを遠隔操作しているのだろうか。
 気になる。
「じゃあ、アンナちゃん、次はとにかくいっぱい買ってくれる人たちがいっぱい来てくれるらしいから、お互いがんがん稼ごうね!」
 ばいばーい! ぶんぶん手を振って帰って行くつくしに手を振り返す間も、頭の中はワダツミでいっぱいだった。こいつは一体、何者なんだ?
 手始めに全てのワダツミに印を付けて個体識別することから始めた。そうしてみると、ロボットとしていつもいる個体はひとつだけで、あとの二体はローテーションで入れ替わっている。ばれないように数字を書いているだけだから、知らない間に消されたり書き換えられている可能性もある。ワダツミはこれでも《海神》だ。こんなややこしいことをしていることを知ると、なおさら興味をそそられる。
 いつもいる個体(仮にワダツミゼロ号を呼ぶことにする)を何度か尾行するうち、ひとつの部屋の存在を突き止めた。ワダツミゼロ号以外も、その部屋に戻り、別の個体を入れ替わりに出てくるようだった。ワダツミの巣だ。
 ワダツミ達の行動を詳細に記録し、見いだした法則から巣が最も手薄になる日取りを突き止め忍び込んだ。
 巣にあったのは、棺だ。《創造主》がロッテの店の倉庫に鎮座していたときと同じ光景だった。操縦棺が部屋の真ん中にいる。そこからいくつか太いコードが床を這っていた。辿っていくと、奥の部屋まで伸びている。倉庫だろうか。顔だけ出して覗く。
 ごうんごうん音を立てて、一本のライン上をたくさんのアームがせわしなく取り囲んで動いている。ラインはコンベアーではない。天井で部屋中を一本の線でぐるりと渦を巻くレールだ。部屋の真ん中を始点にして、この入り口が終点の、工場だった。
 ブリキロボが量産されている。
 吊り下げられて、見慣れたブリキロボの形へ近付いていくのを横目に部屋の真ん中へ向かう。
 真ん中には下へ続くはしごがあった。始点であるこの地点から材料が出てくるのだから、先は資材庫だろうか。レールを眼で辿りながらはしごを降りる。
 私は、なにをしているんだろう。こんなところで、あんなポンコツブリキロボの巣を暴いたりなんかして。怪我が治ったんだからさっさと、ロッテと入れ替わればいい。ロッテに残像領域は生きにくいに違いない。《創造主》はロッテに人を殺させないと言っていたけれど、《創造主》の手の届かないところで危険な目にあっていたら? ロッテは、怪我とかしていないだろうか。お腹は空かしていないだろうか。いやいるだろう。あそこには料理できるだけの食べ物なんてないから。
 私は、どうしてあの時《創造主》にもっと反対しなかったのか。
 考えてみれば、みなくともわかる。ロッテがわざわざ私の代わりに残像領域でハイドラライダーなんかをする必要はなかった。私がこっちで療養する必要もまたなかったのだ。
 残像領域に帰らなきゃならない。ロッテをこっちに帰してあげなくちゃならない。
 だけど、私から《創造主》へ連絡する方法がなかった。携帯電話は当たり前だけど繋がらない。ワダツミから《創造主》へも、連絡は取れないのだと聞いた。
 魔王城の中はとても安全だ。勇者の中には荒くれ者もいるけれど、客と店の関係を守る。
 このままここに、ずっといることになったら。
 こうしてしばらく、たまにつくしとお茶をして、ワダツミに教えてもらってお菓子を作って店番をして、そうやって稼いで生きていくのだとしたら。
 それは、それには、ぞっとする。
 はしごが終わった。真くらい中にぽつりと電球がぶら下がっている。工場の照明が微かに届いていた。
 視界のきく範囲にはなにもない。ロボットの材料がレールに釣られて運ばれていく以外は、がらんとしている。だけどどこか生臭く、じっとりとしてひんやりしている。
 床に向けて懐中電灯を点けた。少しずつ歩を進めながら、懐中電灯を上げる。
 つま先が見えた。だがさっといなくなって、みどりいろだけが見える。ぽこぽこ泡が下から上へ上がっていっている。水槽。水槽? 嫌な想像が駆け巡る。このくらいみどりいろの向こうを覗き込んで――ばさばさ! がたん、足がなにかを引っかけた。ものの落ちる音がやけに響く。軽い紙束が落ちたような音だ。ノートが何冊か、くらいの。音を辿って、床に散らばったノートを見つける。テーブルと椅子が倒れていた。これに積んであったのだろう。中が開けたノートは、手書きの文字が連なっている。
――リリーと今日も喧嘩してしまった。売り上げが上がらないのは商品のせいだなんて、そんなのひどい。おいしいって言ったくせに。
 日記だ。リリーと喧嘩をした、仲直りをした、今日はたくさん売れた・・・・・・。
「新しい商品を思いついた・・・・・・」
 走り書きのレシピ、完成図はロッテがよく作っていたものだ。サクサクしっとりとしたパン・オ・ショコラ。
 ページをめくっていって、ノートの半分で終わっていた。最後のページにはただ「さようなら」とだけある。
 ロッテ。ロッテの日記だ。ロッテが自殺するまでの間に、リリーという親友とお店をやっていた頃の日記。これが全部? どうしてこんなところに?
 他のノートをめくる。こっちは字が少し違う。角張った字だ。
――ひどい目に遭った。いちゃもんつけられるのはいつものことだけど、手を出してきたのは初めてだ。まったく、あんたらの商品が売れないのはあんたらのせいだっつーの。アタシのせいじゃない。それをいちいち。
 ロッテのじゃない。めくって斜め読みする限り、ロッテの名前も出てこない。でも、だとするとこれは、リリーの日記だろうか。
 どうしてここにふたりの日記が?
「「ああ・・・・・・アンナどの・・・・・・」」
 ぼわぼわとがらついた二重の声が響いた。深く長いため息も。力んでいたものを全部出したようなため息だ。
 ワダツミは抱えていたコードの束を見向きもせず捨て置いて、椅子を起こした。私に座るようすすめるが、私は顔を横に振る。ワダツミはテーブルも起こし、散らばった日記をかき集めたまま膝を折った。
「「あの中は? ご覧になりましたか?」」
 ブリキロボは顔だけを水槽に向ける。
「いいえ。・・・・・・つま先みたいなのは、見えたけど」
「「ならば見ないほうがよろしい。あの中にいるのは、ワタシが作製したユニットです。また、つくってしまった」」
 ユニット。ユニットって、よその魔王たちが護衛とか店員として作製する魔物のことか。城の外から人を雇い入れている者もいるらしいけれど。
「また? またってなによ? あんたなにをしたの!」
 ぞっとする。みなまで聞かなくても、この悪い想像は当たってしまっている。だけど否定してほしい。
「「ロッテどの。ロッテどのです。いくら魔王といえど、死人を蘇らせることなど不可能です。ワタクシが、ロッテどのをつくった」」
「つくっ・・・・・・」
 言葉が出ない。ワダツミはなにをぼんやりと言っているんだ。
 死人を蘇らせることは不可能。お金でなんでも叶う世界だって、ロッテは言っていたのに?
 ロッテは、私が出会った私の友達のロッテはロッテだ。何者であろうが。
 でもこの、ワダツミには?
「「ワタシは《海神》です! それなのになぜ人間ひとり蘇らせることが出来ないのですか! なぜワタシが、アンナロッテひとり幸せにする夢を見てはいけないのです! ワタシ・・・ワタシはただ・・・ロッテどのが笑ってお店をしていて下さればよかったのです・・・あわよくば、あわよくばワタシが、側にいたらと思うこともありませんが!」」
 何も言えずにいると、ワダツミは喚いた。これまでの怒りをぶちまけて、しょんぼりとする。
「ワダツミ・・・・・・」
「「ワタシ、ロッテどのに救われたのです。この世界に流れ着いて、《海神》であることに絶望しきっていたワタシはロッテどのの優しさで生まれ変わりました。だのに、ロッテどのは」」
 ワダツミはその先を口にしなかった。日記の束を胸に抱え込んで、ぽつりぽつり語り始める。
「「どうしてもロッテどのにもう一度会いたかったのです。ワタシの・・・ワタシの夢を叶えたかったのです・・・・・・。だからこの日記を手に入れるため、リリーめに話しを持ちかけました。金を稼いでロッテどのを生き返らせようと。そうして手に入れたロッテどのの日記を元にこうしてユニットへ記憶を流し込んでいるところを、同じようにリリーめに見つかってしまいました。リリーは激怒して、ワタクシの元から去り、数年後ワタクシはロッテどのをつくりあげたのです」」
「リリー、生きてるの? ロッテの親友の」
「「はい。ロッテどのがまた生きているのを前にして本当のことを言い出せませんで・・・・・・。ワタシ、ワタクシは、あの同胞めにロッテどのをみすみす奪われるばかりか、もうひとりつくりだせばよいなどと、そんなことを」」
 しょぼくれた声でワダツミは私を見上げる。
「あんた、泣いてる?」
「「いいえ。ワタシはロボットですから。ロボットだというのに・・・・・・《海神》だというのに・・・・・・ワタシには、判断ができていないのです。あの中のユニットにしろ、あのロッテどのにしろ、記憶も姿形も死んでしまったアンナロッテに限りなく近づけたというのに。ワタシには、同一だと判定することができない」」
 ワタシ、ほんとうにポンコツになってしまったのでしょうか。
 ワダツミはさめざめと震えて嘆いた。だが、それでも日記を手放す素振りはない。
「ええそうね。ワダツミ、あんたは《海神》としてはポンコツ過ぎるわ」
 だけど、そんなことはどうだっていい。そこまで口にしたかったけど我慢した。このポンコツブリキ野郎だけがわかっていればいい。私が言うことじゃなかった。
「ロッテを迎えに行かなきゃ。知らないまんまでなんかいさせないわ。ワダツミ、残像領域まで案内しなさい」
「「ええ・・・・・・無茶な・・・・・・。出来たらとっくにやっています! きい!」」
「なんか、こう、ないわけ! あんた《海神》でしょ!?」
「「ポンコツだってさっきアンナどのだって言ったくせに! 都合の良いときだけ《海神》扱いして! そういうとこ! そういうとこいつか痛い目見ますからね!」」
「うっさい! あんたにしかできないでしょうが!」
 ぎいぎい言い合い続け、結局それから一週間経っても残像領域へ行く方法は見つからなかった。
 次の商戦はこれまでのものと異なる。なんでも、危機的状況にある土地を援助しに行くのだそうだ。客の数も売れる商品の数も、相当を見込んでいいらしい。
「「ただ、これまでと違ってワタクシどもが商品を持ち込み、売り込みに行く必要があります。聞いてますかアンナどの!」」
「今それどころじゃないの、あんたわかってる?」
「「いいですか、それとこれとは別です。ロッテどのが帰って来たときに売り上げのひとつもなくてどうしますか!」」
「うっ」
 倉庫で在庫を前に言われると言い返せない。私が来てから、売り上げは芳しくない。良くて赤字ぎりぎりだ。
「じゃあこの地下から出るの? どうやって?」
「「それは大本営がちゃんと用意しています。グリスター・ユニットと呼ばれる最新鋭特殊装置だそうで。領域瞬間霊送箱とも呼ぶらしいですが、要するに瞬間移動装置です」」
「・・・・・・ワダツミ。それ」
「「ええ。モチのロンです」」
 私がにやりとすると、ワダツミも悪そうな顔でにやりと笑ったように見えた。ただのブリキロボなんだけど。
 持てるだけの在庫を持って出発した。大本営が用意したという最新鋭装置の元へ。
 数階下に降りると、他の魔王たちが列をなしている。その中につくしの姿もあった。くまのぬいぐるみをいくつも従えている。
 魔王たちが入っていった部屋には、操縦棺に似た鋼鉄の箱が並んでいた。魔王たちがひとりずつその中に入ると、ぱあっと輝いて姿は消えている。そうするとすぐ、新しい箱が奥から押されて出てくるのだった。
「「ひとり一台とは、贅沢ですなあ」」
 ワダツミが、ふたりでひとつの箱に入ったぎゅうぎゅうの状態で感心したように呟く。あんた、大丈夫なんでしょうね。ちょっと心配になってきた。
「「ああっ! ああーっ! 故障! 故障みたいです! お助けー!!」」
 ワダツミは適当なボタンをわざと押して喚いた。箱の中で流れていた案内音声が止まる。箱の外ががやがやと騒がしくなった。
「「ふふん。これだけ時間が稼げればどうということはありません。行きますぞ、アンナどの!」」
 箱の中のディスプレイに文字列が表示され、一瞬で書き換えられる。それを見た瞬間、ぐんと下へ突き落とされたような感覚が襲った。


***
 ひどく頭が痛くて気がついた。ぶつけたらしい。触るとひりひりとして、あつい。ワダツミを呼ぶと返事があった。
 手探りでハッチを開ける。
 ひんやりとする。視界は灰色で、しろい霧が中へ入ってきた。
「ちゃんと来れたわね、残像領域に。やればできるじゃない」
「「どうしてそういちいち偉そうに! いつか痛い目見ますからね! ワタシ忠告しましたよ! まあワタシにかかればこんなことどうってことありませんけどね!」」
 はいはい。怒っているんだか照れているんだかわからない反応に適当に返して、外の様子を窺う。砲撃の音が聞こえるが、近くない。地面は揺れている。近付いてきているということだろうか。それか逆に、ここは戦場の最後尾か。
「行くわよ。離れないようについてきなさい」
「「ええっ、霧、濃すぎでは?」」
 結局腰の引けたワダツミの手を握り、戦場を歩いて進んだ。ここが大隊の通り過ぎた後なら、撃墜された機体が転がっているはずだ。戦場を移動できて、レーダーが積まれているならハイドラでなくていい。
 運良く乗り捨てられたDRを見つけた。ボロボロだが、エンジンはかかる。レーダーはちゃっちいしハイドラ大隊のブロック表もない。敵機だろうか。
「ちょっと走って使えそうなハイドラを探しましょう。無理そうだったら離脱して・・・・・・くそっ」
 どこかの誰かにロックオンされた。操縦席でアラートが鳴る。姿も音もない。つまりDRにしては射程が長い。ハイドラだ。振り切れるかどうかは運次第だった。しかも、姿が見えないということは視認して狙っていない。あっちには索敵機がいる。
 こんなところで。
 エンジンをふかした。アクセルを踏み込んで急発進する。アラートは一瞬止まったが、それだけで再びけたたましく鳴り始めた。空気を裂く音がして、風に機体が煽られる。だけど外れだ。跳ねるようにDRは戦場を奔る。
 こんな戦場の最後尾で残党狩りだなんて、随分けちな真似をする。もしかしたら支援機――それこそ索敵機が、おまけのようなサブ火器で狙っているのかもしれない。私がかつてしていたように。
 もしもそうなら、深追いはしてこない。こちらから攻撃しなければ先に行った部隊へ付いていくだろう。
 だが敵機はしつこかった。
 執拗に追いかけ回してくる。
「くそっ、こうなったら決着つけてやる!」
「「アンナどの!」」
 追いかけっこを続けるうち、相手の癖が見えてきた。おそらく、隠れているのはあのあたり。私ならそうする。そうあたりをつけて、急ハンドルをきり方向転換する。敵機への距離を詰めて、
「見え・・・・・・た・・・・・・!」
 敵機を視認する。砲塔がひとつ、レーダーがいくつか。思ったとおり索敵機だ。非常に大きいタンクで――。
 ハンドルをきった。衝突コースを回避しすれ違う。見覚えのありすぎる機体だ。
「「アンナどのっ!?」」
「見つけた。ロッテは、あれに乗ってるわ」
 見間違えるわけがない。なにせ自分がずっと乗ってきた機体だ。あれの足を止めなければ。《創造主》は間違いなく、このDRが私とワダツミだと分かっている。だから執拗に狙っているのだ。
 けれど、このDRの火器は、あのハイドラに対して貧弱すぎる。履帯でさえ傷つけることができないだろう。
 それならできることはひとつだ。
「突っ込むわ。ワダツミ、操縦代わって」
「「アンナどのは、ワタシに身代わりになれと・・・・・・」」
「ある意味ではそうね。大丈夫よ、死なないから。たぶん。メイビー。突っ込んだら棺に取り付いてハッチを開ける。私があの中に入れれば勝ちよ。簡単でしょ?」
 Uターンしてから、操縦方法を手短に伝えて席を替った。真正面に《創造主》とロッテが収まったハイドラがいる。
「もっと! もっと踏んで! 代わったのがあいつにばれるでしょうが!」
 ロボットのくせにワダツミはシートベルトをしっかり締めてまっすぐ操縦桿を握っている。「「ひいい」」スピードが上がった。DRは路面のでこぼこでぼこぼこ跳ねる。タンクの、履帯前半分が持ち上がった。履帯が回る。あのままDRを轢くか、乗り上げて潰す気だ。《創造主》らしい。受けて立ってやる。
「「潰されっ! 潰される!」」
「大丈夫よ。このまままっすぐ。勝手に逃げたら私があんたをぼこぼこにしてやるからね」
 タンクが近付いてくる。視界は履帯の間、ハイドラの腹で一面埋まりそうなところで、私はワダツミの腕を引いた。操縦桿をがっちり握っている手の、ホース状の腕を掴んで引く。下へ。ワダツミが悲鳴を上げた。操縦桿は右へ大きくきられて、視界は片側の履帯に覆われる。
「ブレーキ!」
 私は続けてシフトレバーを引いた。めきめききりきり嫌な甲高い音が響く。操縦席の天井を擦る履帯、金属のへこむ音。
 だが数瞬のうちに、DRもハイドラも止まった。へこんだドアを踏み開けて、私は外に出る。
 DRは半ばより後ろを片側の履帯に乗り上げられ、無残にべこべこだ。ハイドラは片側の履帯だけが地面についたまま、機体の半ばより後ろでDRに乗り上げた状態だった。乗り越えようと足掻くうちに履帯が外れ、ぶら下がっている。
 機体表面を伝って操縦棺のハッチまではすぐだった。斜めになった足場では、超重装甲を誇る操縦棺のハッチを持ち上げるのは難しい。ロック自体は非常用の手順でどうにかすることができた。
「ロッテ! ロッテ! 持ち上げて! こんなところから出て帰ろう!」
 ロッテ! 気がついたらそればかり叫んでいた。ロッテはこの中で、震えて小さくなっているだろうか。怯えているかも、怖がっているかもしれない。私たちがどうして、こんなことをするのか不安になっているのかもしれない。もしかしたら怪我をしていて動けないのかも。気を失っているのかも。
 不安ばかりが先を走って、胸が逸る。頭が手が、急に重たくのろまになってしまった。履帯が空回りする音が聞こえる。姿勢を直される前に開けてしまわないと。
 ハッチが急に軽くなった。引くと、押される感触がある。
「ロッテ!」
 ハッチが持ち上がる。ロッテの手が見えて、顔が見えた。埃まみれの顔には涙のあとがあって、髪もぼさぼさだ。
「アンナ? どうしたの、なんて顔してるの、アンナ」
 私がロッテの顔をぺたぺた触って、ハッチから出た上体の肩と腕を触って、膝をついて抱きつく間、ロッテは首を傾げてほわほわと微笑んでいた。
 あたたかい。柔らかくてふわふわとする。ロッテだ。ロッテがちゃんと生きて、ここにいる。「大丈夫だよ。わたしはここにいるよ、アンナロッテ」
 頭を撫でられると泣きそうになる。既にもう鼻は詰まっていて息が苦しいけど、ばれないように黙った。鼻をすすって笑われたけど。
「ありがとう。ロッテ。私の代わりにこんなことになってごめんなさい」
「ううん。いいの。いいんだよ、アンナ。わたしも、きっとこっちに来なきゃいけなかったんだよ」
 ロッテの言うことの意味がよくわからなかった。だけど説明してくれるわけもなくて、私たちは本来いるべき世界へ戻った。


***
『まあ、君は戦場では死なないからね、アンナ』
「・・・・・・なによ、その言い方」
 私はディスプレイを蹴りつけた。広くなった操縦棺は、つい最近買ったものだ。また変える。
 戦場はどんどん苛烈になる。敵と味方が入り乱れ、次々と仲間が減っていくのを、毎週のうのうと見ている。目の当たりに、している。
 あれから数週間、《創造主》は相変わらずだった。ロッテに非道いことを言わなかったか、しなかったかさせなかったか、いくら聞いてもはぐらかされるばかりだった。なにかはあったはずだ。ロッテのあの口ぶりでは。
「私は本当に戦っているんだと思う?」
 残像領域に戻ること。それはいつの間にか、すっと腹が決まっていた。ワダツミの話しを聞いた後にはもう、私の気持ちは残像領域で戦うことにあって、魔王城で商売をすることは頭の隅っこにもなくなっていたのだ。
 そうしてあるべき場所へ帰ってきた。ロッテを帰したのはこのためでもあった。一番は、ロッテにあそこでお店を続けて欲しかったからだけど。
 それなのに、いくら戦場へ行って生還してもなにか違う気がする。魔王城でお店をやっていたときよりもずっと、胸の内がすうすうした。
『戦っているさ。わたしもね。火気管制システムなんてものに、収まるわたしではないのだがね』
「そうだった。でもあなたのおかげで随分それらしくなったじゃない。戦っているみたいになった」
『みたい? アンナ、よく分からないな。この激しい戦闘に身を置きながら、まだ戦っていると思えないだなんて。君は戦いたいのか?』
「別に、そういうわけじゃないけど」
『一度死んで生き返っただけじゃあ不足かい、アンナ。君、急にやる気になってどうしたんだい』
「そりゃあ、一度死に目にあったからね」
 いや、二度だった気がする。戦場での役割はここに来てからずっと変わっていない。補助と索敵だ。最近は《創造主》を細切れにして(《創造主》がそう形容したのだが、実際どうやっているのか私には分かりようもない)、火気管制システムやレーダーなんかを作成し、ミサイルなんかも積むようになった。火力を上げようと欲張った結果、また撃墜されてしまったのだ。
『それなら、試しにもう一度死んでみたらいいじゃないか』
「あなたにとっては、試しでしょうけど」
 三度目も撃墜されて生きていられるとは思わない。私にとってはそれは終わりだ。《創造主》はこの身のなぞる運命と同じ存在を探しているに過ぎない。私を失っても、次のアンナロッテを探し見つけて世話を焼くだろう。私にしたように。ロッテにしたように。ワダツミがしたように。
 だから、死など関係がない。そのはずだ。《創造主》の元で生きるということを選んだ私には。
 今、残像領域には雪が降っている。霧深く、いくら冷えても雪は降らないだろうと報じられてしばらくして、しんしんと雪が降り始めた。
 ハイドラ大隊が攻略してきた要塞、その最後のひとつを前に、大隊は足踏みをしている。
 イオノスフェア要塞に出現した正体不明の巨人――しばらくして《霜の巨人》を呼ばれるようになったこれが、残像領域じゅうを冷やし凍らせてしまおうとしている。
 これを巡る様々の思惑が、単純に《霜の巨人》討伐を叶えさせてはくれなかった。
 このまま気温が下がり続ければ人は生きていくことができない。企業連盟がシェルターを売り出しているらしいが、その金を出せるだけの人間がこの残像領域にどれだけいるだろう。ほとんどの人間はあぶれて、寒さに今も震えている。
 仮に《霜の巨人》を討伐することができたとする。その場合、気温の上昇にともなってある「種」が発芽するのだという。これは人類を滅ぼし、新人類として成り代わるのだとか。あまりにオカルトじみた話で信じがたいが、地下深くでは発芽が始まっているのだとかなんとか。
 人は進歩を続けるHCSを擁したハイドラを手に、選択を迫られている。
『おや。良い報せだぞ、アンナ。《霜の巨人》討伐にゴーサインが出た』
 二週間後だそうだよ。
 《創造主》の他人事じみた声を聞き流してメールを読んだ。要塞まで遠征になる。実際の出発は一週間後だ。
『これは見物だ。特等席で楽しませてもらうとしよう』
 死など関係がない。《創造主》の元で生きるということ、戦うということは。生命をやりあう戦場、絶滅に瀕しようとしている残像領域に住む生命たちは、こうまでして生きようともがき決断したというのに。私もそのうちのひとつだというのに。