アルバム

 赤ん坊を抱いたときの感覚ほど鮮烈に記憶に残っているものはない。ふわふわとして危なっかしいのに、妙にずっしりと重みがある。後で体重を聞いたが、それよりもはるかに重たく感じたものだった。
 颯が娘を抱くことができる機会は限られた。食事の度だった約束がいつの間にか日に一度になり、やがて週に一度になった。それを見かねた娘の父親が――今後一切会うことを禁止されていたにも関わらず――なにをどうしたのか、夜にこっそり娘を連れて来てくれていた。親子三人で過ごすことができたのは合わせてもほんの数時間だけだ。
 その時に撮った写真は父親が持っていて、今は娘が持っているらしい。母親の自分は二人の写真を未だことあるごとに見ている。本人と会うこともできるのに、何度も見た写真を見ている。
 ポラロイドカメラで撮影した写真を一枚ずつ綴じたアルバムはくたびれてぼろぼろだ。幼い娘の笑った顔と泣いた顔が詰まっている。拙い字で「おかあさんへ」と書かれた一枚は三歳の誕生日のものだ。小さな――三歳の娘には大きな――ケーキに三本のろうそく、ろうそくの灯とケーキを目前にして幼子の眼が煌めいてる。その写真に字を書く様子を撮った一枚もある。クレヨンを握りしめる必死の形相を斜め横からのアングル。
 大泣きしている写真もある。ぎゅっとスカートを握りしめて大口を開け、涙を流している。立派なだだを前にして困り果てているらしい父親も映り込んでいる。
 逆に父親が慌てふためいているのに、娘はきょとんとしているものもある。手足、頬までかすり傷や泥が付いていて、膝が大きくすり剥けていた。
 最後のページに挟んであるのは、父親の写真だ。今は娘が持っている写真を見る後ろ姿。
 その背を指でなぞっていたところで、アルバムが手からすり抜けていく。頭上から伸びていたらしい腕が奪っていくアルバムを思わず追ってしまう。
 へーえ。思わせぶりに呟かれた声に、耳が熱くなった。
「別に、お前の写真を見ていたわけじゃ」
 言い繕うものの、照れを隠しきることはできない。


15.08.29