運命のチョコレート

 駅の改札近くにデパートの入り口があって、バレンタインに彩られたデパ地下に吸い込まれていく女の人達を他人みたいに思っていた。
 それが、今年の私はちょっと違う。バレンタインの近づいてきた今日、人が芋みたいに洗い合う中――確かそんな比喩表現があった気がする――夕方のデパ地下、バレンタイン特設チョコ売り場で、ショーケースを眺めすがめつ、チョコレートを物色している。
 それもこれも、去年の三月から付き合い始めた幼なじみ、武のせいだ。付き合い始めて最初のバレンタインだから気合いを入れて、多分三年ぶりくらいにチョコを手作りするつもりだったのに、
『お前メシマズじゃん。オレ、なんか立派なやつがいい。デパ地下で売ってるようなやつ』
 とかのたまったから。
 確かに、そりゃあ、料理は苦手だけど。ホットケーキ焼いててフライ返し溶かしたこととかあるけど、でも、そんな言い方ってあんまりじゃない? なんて、親友歴二ヶ月の早苗に相談しても、
『じゃあ見返してやればいいじゃん』
 でも手伝ってはくれない。なんて有様だから、私はこうして言われるがままデパ地下でチョコを探しているわけで。
 色々種類があって、目移りしちゃって、実はもうわけわかんない。ていうか、そもそも中学生には高すぎるんだけど。ゼロが二つくらい多いんじゃないのって、何回思ったか。
 値段で言えば、小さいのが二つだけ入ってるやつとかが候補としては多い。そういう、箱が小さなチョコをショーケースの中に探しながら、私も芋の仲間入りをしてもみくちゃにされて売り場をあちこち回った末、出会った。
 表面がなめらかでつやつやしてきらきらしたチョコ。ただの四角なのに、角っこの丸みとか、側面のちょっと傾いた感じとか、とにかく他のチョコとは違う、これは、これが特別って感じがした。なんの飾りも模様も無くて、ただ茶色いだけの、ちょっと平べったい小粒の四角いチョコ。これだ――!


「せんぱーい。お客さん待ってますよお」
 デパ地下のがやがやした中で、後輩の声に私ははっとした。顔を上げれば、薄いアクリル板の向こうにチョコを買い求めて並ぶ女性の、ちょっと物珍しげにこちらを見る顔がぎゅうぎゅう詰めになっている。ちょっと怖い。
「あ、ごめん。思い出に浸ってどっか行ってた」
 私は後輩に謝って――後輩の呆れた顔にちょっとイラッとした――チョコに向き直った。デコレーション用の絞り袋を握り直し、かがむ。並べた小粒のチョコに模様を刻んでいく。
 私はあの日チョコレートと運命的な出会いを果たし、十年が経った今、パティシエの端くれとしてあのデパ地下に立っている。これもかなり運命的だなんて思っていたから、あの日にすっかり気持ちが飛んでいってしまっていたのだ。
 模様を付け終わったチョコが、待っていられないとばかりに後輩の手で包装されていく。無情だ。チョコが完成するその瞬間を見てもらうための実演販売なのだけど。
後輩がぶつくさ漏らす文句を聞き流して、私はアクリル板の向こうへ笑顔を見せる。その先に、完成したてのチョコレートを見つめるかつての私がいるような気がして。

160218