再会後の日常

 軍の異人部隊はほんの一個中隊にすぎない。それでも異人の議員が持つには大きすぎる力で、これを維持し続けていられるのは部隊が表舞台にいっさい出ないからだ。メイズに貸しのある議員の邪魔者を排除したり、反議会勢力を殲滅したり、汚れ仕事を専門にしている。世界を跨いで逃げてくるような人間が手を汚していないわけがなく、部隊に志願する異人は多い。その中でもメイズのお眼鏡にかなった精鋭ばかりだ。瑠璃の一族と違うのは血の繋がりがないくらいか。まったく瑠風にはお似合いの職場だろう。
 ここで颯は下っ端仕事をしている。きっかけはほんの小さな借りだったが、もはやメイズの言いなりになってしまった。娘を近くで守るために王宮直属にまで上り詰めたのに、それが仇になってこの暗殺部隊の中でさえ裏方に徹することを強いられている。
 王宮の警護任務を終えた後――夜勤明けに急遽シフトを押しつけられ、丸一日働きづめる羽目になった後――書類全般の処理をしていた。汚れ仕事に本来報告書などとあってはいけないが、この部隊は仮にも軍の一部なのだ。記録を取って保管しなければならない。そして汚れ仕事をして生きてきた人間がそんなことを承知するわけもない。颯が来るまで書類のしの字もなかった。それが今や倉庫の片隅に山になっている。その中に埋もれて、颯は書類を別けたりまとめたり書いたり作ったりしていた。
 ドアの開いた音がしたが、眼を向けてやる暇も無い。そんなものがあれば少しは寝かせてほしい。明日も王宮警護だ。部隊に来てから、代わる代わる男が口説いてくる。これもその一人だろう。ただこの足音は。手を止めないのも顔を上げないのも意地だ。
「どうも」
 声は瑠風のものだ。
「報告書と訓練計画と今月のシフトがまだ出ていないようですが。小隊長」
「今、持ってきた」
 視界の端で紙がひらひら舞っている。どうやら本当らしい。
「そこに、未処理のものを集めた箱が」
 確かどこかそのあたりにあったはずだ。適当に指さすと、彼は少しして紙を置いたらしい音がする。
「どうも」
 彼は彼なりにこちらの顔を立ててくれているんだろう。書類を小まめに出してくれるのは今のところ彼だけだ。
「嵐はどうしてる」
「一緒に住んでるのはそっちだろう」
 こいつはいったいなにをしに来たのか。邪魔をするのが目的ならそれは存在するだけで達成している。
「同じ家に住んでいるからって会えるわけじゃない」
「嵐も同じことを言ってた。元気してるよ」
 その上頭もろくに動かない。単純作業だけこなすことにする。そうか。瑠風の声は笑っていた。彼はこれまでずっとあの子の親をやってきたのだ。それが板に付いていて当然だろう。当然だ、私に親をするのが難しいのは。それが悔しくて羨ましくて、妬ましい。
 こいつは、どうして嵐を手放そうとするのか。
 問いただしたい衝動を必死に抑える。そういうことをしないために会わないことにしたのではなかったのか。
「何か言いたげだ」
 いつの間にか、すぐ近くに来ている。顔を上げてはいけない。自分は母親をやるより女をやることが骨の髄まで染みこんでいるのだ。悲しいほどに。
「別になにもない」
「じゃあ僕の話を聞いてもらうことにしよう」
 まずい流れだ。この調子でこの数ヶ月何度ひっかかったかわからない。ひっかかって女をやるのも悪くないと思っているのがなお悪い。
「貸しがあったな。大きいのが」
 この十年娘を育ててきてやっただろうと言いたげだ。机に手をついたのが見える。息がかかる程近づいている。
「そろそろカレンに手を出してやれ。彼女待ちぼうけだぞ。かわいそうに」
「新品は新品だから価値がある」
「あの子は観賞用のコレクションか?」
 違うはずだ。若い頃肉体的な繋がりでしか愛情というものが理解できなかった男が、何年も手を出さずにいた女性。これこそ愛だろう。私には理解できていないものだ。
「うーん、違うな。新品をおろすには及ばない。今は無茶をしたい気分なんだ」
「カレンを幸せにしたいなら我慢を覚えることだな」
 呆れた。ただ無茶がきく女がここに一人いたから来た。それだけ。私はこの男の愛人にもなれない。その虚しさに呆れた。虚しさにここまで絶望を感じる自分はやはり母親ではなく女にしかなり得ない。
「他をあたれ。お前の頼みを断らない女の一人二人いるだろ」
 二人どころではないだろう。私と同じ愛人未満の女を山ほど持っているに違いない。
「いない。カレンと付き合い始めて全部切った」
 意地で動かしていた手が止まった。自分でも思いもよらなかった。若い頃、こいつには山ほど愛人がいて、愛人未満の女も山ほどいて、その女どもといつ寝ようがなにをしようが、それを隠したりしなかった。それなのに、カレン相手なら簡単に捨てられるのだ。
「そんなに大切なら新品をおろせ」
「だから気分じゃない。新品じゃ耐えられないし」
 私はこいつのなんなのだ。もはや女ですらないのか。人間でもないのかもしれない。
「出て行け。疲れてて相手なんかできない」
「やってみなきゃわからない」
「出て行けと言ってる」
 こいつも意地になってきている。意地の張り合いは避けるべきだ。でも、今は意地と怒りでこの痛みを覆い隠すしかできない。そしてそれはそう長くもちそうもない。
「なんだ、妬いてるのか」
 わざとらしい挑発に苛立ちが跳ね上がる。跳ね上がったついでに顔を上げてから、しまったと気づいた。息のかかる近さに、顔がある。
 つかまえた。触れた唇が言う。顎をホールドされていて、もう逃げられない。
2015/2/2
16/5/23#キスの日に掘り起こし。