「発見」

 暑い。人がこう多くては敵わない。メイズは道を埋める人混みの頭達を見下ろして、げんなりと息を吐いた。なまじ頭のひとつふたつ分背が高く先が見えるのに、いつまでたっても先に進めない――見通しの立たないのを予測できる分憂鬱もひとしおだった。
 異国の地だ。長年追い続けている一族の仇は、ここにいるだろうか。辿ってきた手がかりがふっつり途切れてしまって、情報を求め人口の多い街へやってきたのだった。
 懐から煙草を取り出して、最初の目的を変更する。まずは煙草だ。最後の一本を咥え、火を点けた。ついで、髪の毛一本残らず剃った頭を?く。頭を上げようが下げようが、視界には人混みが続いている。大人が五、六人横並びで歩けば埋まってしまう道幅の両側に屋台が隙間なく並び立ち、人の流れがごちゃごちゃしているために足が止まってしまった。
 人がこう多くてははぐれてしまうかもしれない。思う矢先、いつも視界の隅、一歩後ろにいるはずの桃色が見当たらない。
 やっと動き出した人波に逆らって振り返った。すぐ後ろの人間とぶつかって――やはり桃色の和服を着た少女ではない――睨まれるが睨み返して黙らせる。
「桜花!」
 名前を呼んで逆走するものの返事も桃色の人影もない。ああ、しまった。
 眼を離すと何をするかわからない。そもそも何を考えているのか把握し難い。ふたりで旅をして数ヶ月経つというのにだ。人生の半分以上をこの復讐の旅が占めている自分が、女子どもに縁があるわけもない。ましてや東洋の、これっぽっちしかない島国の少女ならなおさら、上手く扱えるわけもないのだ。と、この数ヶ月自身に言い訳を続けてきた。だが仕方が無い。敵として出会った彼女が、付いてきてしまったのだから。まるで煙草の煙に取り憑かれる様に、フラフラと。
 ぐん、背側の裾を引かれ、あまりの強さに背が仰け反る。振り返って見れば、桃色の和服姿がいる。濡れた様な艶のある黒髪をまとめ上げ、東洋人にしてはしろ過ぎる肌、切れ長のくろい眼は少しつり上がっている。全体に小ぶりの顔のパーツはいつも通り表情をつくることも無く、ただ、じっ、人のコートの裾を握ってこちらを見上げていた。桃色の和服、袖が縦に長いそれには白と青と金の模様が描かれている。また、彼女はもう片方の手で細長い袋を抱えている。動く日本人形のような少女は通行人より頭ふたつ分ほど小さい。
 無表情ながらどこかきょとんとした、もしくは「何をしているのか」という冷たさにも見える桜花の眼を前に、言うべき言葉は見つからない。探しはしたが、別に心配したからではない。いや、同じ人間を追っている、という唯一となってしまった手がかりを失ってしまう心配はもちろん、一瞬はした。
「もうはぐれるなよ」
 こくり、桜花が頷く。我ながら言葉も声も無愛想だと思うが、愛想良くする理由もないように思う。というか、自ら愛想良く振る舞ったことなど一度もなかった。お互い様だ。
 他に何を言う必要も感じず、再び前を向いた。再び人込みにげんなりして歩き出す。背を微かに引く感覚がある。桜花が裾を掴んだまま、付いてきている。意識して歩幅を小さくする。桜花の歩幅は小さすぎて、裾を掴まれると逆に引っ張られてしまうからだ。
 この街は今祭りなのか。翌日も、その翌日も、街は人混みでごった返していた。西洋の古ぼけた町並みに、ふと現代的な店が混じっていたりする。時代と人種の入り交じった、落ち着かない街だ。その中を毎日、特にあてもなく歩き回っている。桜花は人混みが苦手らしい。コートの裾を掴む手にはかなり力が籠もっている。一度はコートの破ける音がしたほどだ。一張羅のコートを守るためにも、歩幅を小さく小さく、桜花の様子をちらちら窺いながらの行軍になった。
 これほどこの少女の様子を窺ったのは出会ったとき以来だ。彼女が後生大事に抱えている日本刀で一刀両断にされるか、自分が殴り倒すか。どちらが先か、そんな命のやり取りだった。だからその時は無表情にも納得していたのだが、どうやら敵ではなくなった今でも桜花は表情をつくることもなく、本当に必要以上の言葉を発しない。この少女は厄介だぞと、薄々気付いてはいたが、こうして気をつけて見てみると確実だ。
 すれ違う人を残らずじっと見、たまに物音に反応してぱっと振り返ったり、あらぬ方向を注視していたりする。人慣れしていない野生動物のようだ。しかし彼女はずっと無表情である。
 ますます眼を離せなくなってしまった。知らなければ良かった。思うものの、もう遅い。眼を離した隙に人のひとりふたり真っ二つにしてしまうのではないか。想像してぞっとする。何か手を打たなければ。だがどうやって?
 ぴたり、桜花が立ち止まった。一点、道の脇を見つめている。
「どうした」
 これは野生動物なら獲物を狙っている様子ではないのか。はらはらして、つい声を掛けたが少女は微動だにしない。この人混みだ。話し声が入り交じっていて聞こえなかったのかもしれない。
 メイズはしゃがんだ。腰を折るより確実に聞こえると思ったからだった。どうした、再び言おうとして、桜花と同じもの、視線の先にあるものが見えた。
 それは桃色の花だった。だが花にしては大きく、表面がてらてらと、きらきらとしていた。桃色の花びらが五枚集まって円形をした棒付き飴。柄もののペロペロキャンディー。
 桜花の着ている和服に描かれている花と同じか、似ているように見える。確か、彼女の名前と同じ、サクラという花だ。
「可愛い嬢ちゃんだねえ!」
 屋台の店主が気付いたらしい。人の良い男の声が飛んできて、無視できるはずもない。コート越しに桜花を引っ張った。少女の足取りはゆっくり、まるでぎこちない。そしていざキャンディーを目の前にすると、元来の俊敏さでメイズの後ろへ隠れてしまった。
「恥ずかしがり屋さんなのかな?」
 中年の店主が笑ってサクラの描かれたキャンディーを差し出す。その明るさとあたたかさは、きっと、間違いなく、この少女の知らないものだろう。桜花はますます小さくなったが、メイズは背を押した。張り倒すためではなく、極力、力を込めずに。
 一歩前へ踏み出した桜花の目前にキャンディーがある。少女は、おずおず、キャンディーを手づかみした。
「嬢ちゃん、ほら、ここを持つんだよ」
 あっはは、声を出して笑った店主が、顔をくしゃくしゃにしたまま桜花の手にキャンディーの棒を握らせてやる。両手で棒を握ったまま、固まってしまったのを見て、思い至った。もしかして。もしかして、桜花はキャンディーというものを知らないのではないか? 確かに、今まで口にしているのを見たことがない。はじめ、キャンディーで釣ってみようとしたが興味を示さなかったので嫌いなのだと思っていた。
「舐めてごらん」
 店主は察したのか、大仰に舌を出して商品をひとつ、べろり舐め、笑った。桜花はそれを見て、キャンディーを見て、なぜかメイズを見上げてくる。許可を求めているようにも、助けを求めているようにも見える。相変わらずの無表情だが。
 腹を決めてしゃがんだ。桜花の手ごとキャンディーを引きよせ、隅を舐める。甘い。キャンディーなど十年以上ぶりだ。どうだ、やってみせろと、少女へキャンディーを突き返した。彼女は舌の先で、ちょん、キャンディーに触れる。とたん、眼を見開いて顎を引き、何度もまばたきした。しろいばかりだった頬がほのかにあかい。
 少しずつ、次第に一心不乱に、キャンディーをぺろぺろする様子のあまりの幼さにメイズは驚いた。そういえばこの少女は、桜花は、何歳だろう。小柄さに見合わない怪力へばかり注意が行ってしまって考えたことがなかった。
 店主へ代金を渡すと、彼はなぜだかさっき舐めたキャンディーを寄越してきた。真っ白い、何も描かれていない棒付きキャンディー。
「嬢ちゃんがそれなら、あんたはこれだよ」
 いたずらっぽく笑う店主は自らの頭をなで上げる動作を見せる。なるほど、花柄を着た少女が花柄キャンディーだから、禿頭のおっさんには真っ白のキャンディーというわけだ。怒る気にもならずにいると、
「ふふ」
 微かな笑い声は桜花のものであるような気がした。だがキャンディーでベタベタの顔は相変わらずだ。
 なぜだかこの場がこそばゆく、メイズは無我夢中で自ら動き出す気配のない桜花の手を引いた。まいどー! 明るく、笑い混じりの店主の声を背に受けて考えるのは、桜花の手が思っていたよりずっと小さいということだ。


160103
おっさん×少女アンソロジー「掌を繋いで」に寄稿したもの。