きらきら

 海が夕陽色にきらきら輝いている。ボクはそれがまぶしくて、細眼になる。堤防に女の人がいた。つばの大きな帽子をかぶっているから、ボクを見ているのは分かっているのに、ボクには女の人の顔が見えない。たぶん二十歳くらいで、すごい美人だ。長い髪がとても細くて、きらきらの中に溶けてしまったみたいに、ぽっかり、女の人の輪郭だけがくっきりと影になって、ボクの前にあった。
「ね、どっちにする?」
 女の人は両手にカップを持っている。コンビニコーヒーの紙カップ。左右ひとつずつ。全部でふたつ。
「こっちは紅茶で、こっちがコーヒー。紅茶は砂糖入りで、コーヒーはブラックね」
 左、右。女の人はカップをちょっと上げて説明する。左が紅茶で、右がコーヒー。
 ボクはどっちも好きじゃない。でも、この人がどっちかくれるって言うならどっちか欲しい。どっちにしよう。
「ようく考えてね」
 女の人の顔は見えない。でも口は笑っているようだ。きれいなひと。ボクもいつか、こんなふうになれるだろうか。
「あなたは、本を探しているのよね?」
 紅茶、と答えそうになったとき、女の人がぱっと言葉を投げつけてきた。
 ボクは頷く。
 そうだ。ボクにはお気に入りの本がある。それを毎日眼にするためだけに図書委員になるくらいに。早く帰って本を読むとかゲームとかしたかったけど、あの本に出会ってからは、あの本のことが頭から離れない。なんてことのない、失楽園の話だ。主人公は、誰もが憧れるような、月のような、太陽の様な、人を惹き付ける人に憧れて、目指す。だが目指せば目指すほど、理想に近づけば近づくほど、自分らしさを失って苦しみ、自分らしさを失ったがために友人までもを失ってしまう。そして最後になってやっと、自らがきらきら輝く存在だったことに気がつくことができるのだ。
 あの本は、なぜか貸し出し禁止になっている。分厚い郷土資料とかと同じように。
 その、貸し出し禁止のはずの本が、なくなっていた。放課後の貸し出し時間が終わって、片付けを終え、いつものように少し読んでから帰ろうと思い見たら、なかった。
 ボクは慌てて探した。先生に怒られるし、なによりボクが、なくなっては困ったからだ。本に出会ってすぐにネットで探したけど、ヒットしなかった。売っていないか、もう絶版になっているようだったから、図書室にある一冊をなくしたら、もう二度と読めないことになる。
 先に帰った図書委員を追いかけている途中で、この女の人が眼について、今に至る。
 そうだ、早くあの本を見つけなくちゃ。
「これを飲んだらわかるんだけどね、でも、そうしたらあなたは後戻りができなくなっちゃう」
 女の人が肩を落とす。紅茶かコーヒーを飲んだくらいで、そんなまさか、と、なぜだか笑い飛ばせなくて、ボクはじっと女の人の次の言葉を待った。
 あの本に似ている。
「毒がね、入っているの。知りたいって、互いの知を貪り合ったなれの果ての、毒みたいな知が」
 帽子のつばが風で跳ね上がった。女の人は両手が塞がっていて押さえることができない。彼女は、笑っていたけれど眼はどこか遠くを見ていた。
 ね、どっちにする?
 女の人が再び問いかける。ボクは、さっきコーヒーと答えそうだったのを遮られていて、考える。これは、あの本に似ている。


160709
第102回フリーワンライに参加したもの。
お題:失楽園
   蟲毒
   太陽に憧れる星
   消えた本の行方
   甘い紅茶と苦いコーヒー