最期の呪い

 コウモリの翼を備えているのは少女だった。戸を開けたまま、真っ暗い部屋に入ってくることもなく立っている彼女の影が、戸の四角い形に入った灯りの中に伸びている。
 長さの揃わない髪、横に細長い耳は垂れ、コウモリの翼の中に灯りの筋が見える。
 風を受けることができないように、空気を押すことができないように。飛べないように引き裂かれた翼は、その『処置』によって歪み折りたたむことができない。
 彼女の翼も、わたしの翼も。
 行ってくるね。ぎい、波で建物が軋む音の中に声を潜ませて、彼女は立ち去った。
 いってらっしゃい。先に待っていて。そんな言葉が喉までせり上がって、だがわたしは飲み込んだ。
 また置いて行かれてしまった。


***
 人間は全てが恐ろしいのだそうだ。雨ばかりを降らす空、上昇を続ける海面、人ならざるあたしたち。特に翼をもつ生き物へ憎しみさえ抱いているようだ。
 陸地のほとんどを失ったこの世界、やがて腐る樹の小屋を上へ上へ積み上げて生きる人間の他は、海中に棲むものと空に棲むものだけが残っている。板挟みになった人間が死に絶えるのはきっとずっと近くだ。だから、人間が翼をもつ生き物へ向けるこの憎しみは、ただの八つ当たりに過ぎない。捕まってしまったあたしが馬鹿なのだ。あたしひとりが死んだところで、仲間も一族も、悲しみはしてくれるかもしれないが、滅ぶわけではない。
 人間がこの世界をまだ支配していた頃、人ならざるものは迫害され身を隠し生きてきた。それが、今は逆転しているだけ。
 人間は人間でないものから隠れ、空を見ないように、海から逃げられるように、樹の殻に閉じこもってひたすら増築を続けている。弱く小さい、あたしのような、人でないものを捕らえてはうっぷんを晴らした。人間がまだ支配者だった頃の優越を追体験した。
 あたしはこれから贄になる。この、無様な人間たちが、海に棲むものへ、少しの間見逃して貰えるように捧げる贄に。
 あたしはもう飛べない。逃げることはできない。でも、だから、ただ使われるだけでいるつもりもない。
 人間の増築している樹の塔――あたしの仲間内では「はしご」と呼んでいるこのいびつで、塔と呼ぶにはあまりにもお粗末な構造物には、人間がとっておきの獲物を捕らえている。竜だ。四肢と牙と翼をもつ竜。人間が世界を支配するずっと前に絶滅してしまったはずの竜が、一匹捕らえられているのだ。あたしは会った。
 鱗がほとんどはげ落ちて、牙を折られ翼をずたずたに裂かれた、人間よりも落ちぶれた竜と。
 あたしはあの竜に託す。人間と、あたしを見捨てた仲間達と、人間を産み落とし陸を沈めあらゆる生き物を迫害する世界を、代わりに憎み、けなし、汚し、壊し滅ぼすように、最期の瞬間まで願い続けていよう。
 あたしは俯せに床へ押しつけられ、翼の根元に冷たい刃が入り切り落とされる熱さの中、蹴飛ばされ海へ――海面が迫ってくる中、この熱が、願いが、あの竜へ届きこびりつくようにと念じ続けた。
 さあ。行こう。
 海面に身体を叩きつけた刹那、あたしは幻を見た。竜へ手を差し伸べる幻を。


160717
第103回フリーワンライに参加したもの。
お題:最期の○○(○○は自由)