竜と世界と私

プロローグ-二

 日が傾いてきた頃、女性が二人訪ねてきた。二人は制服をぴっしり着込んだ軍人だった。一人は三人とも知り合いで、ピアの数少ない友人でもある颯(さつ)・ローレンツ。もう一人は彼女の部下でカレンというらしい。
「王宮魔導師様の引っ越しの護衛に参りました」
 颯は黒髪を見事に編み込んでまとめ上げていて、目を見はる美貌も相まってやり手のおっかない女軍人に見える。一方、部下のカレンは成人したてに見える。アレイシアから大体十ほど年下だろうか。丸いフォルムのショートカットは赤茶色く、頭のてっぺんに真新しい制帽が載っている。
「この私に護衛?」
 ピアは挑戦的に颯を睨め上げた。意識を取り戻したばかりで助けがなければ立ち上がることもできない状態でよく言えたものだ。
 ピアは魔術師や魔導師がただ守られるだけではないと、その身をもって示す数少ない魔導師である。そこらの用心棒より腕っ節が強い。そのプライドと、どうやら魔導師を統括する王宮の派閥争いに早速利用されているらしい――王宮と軍は間接的に対立中だ――ことにひどくご立腹の様子だった。
「そう仰ると思っていました。私もこれが王宮直属になって初の任務ですから、雑用にでも使ってやって頂けませんか」
 颯は苦笑して慇懃にお願いする。王宮もピアの友人である颯でなければ追い返されてしまうと分かっていて彼女を寄越したのだろう。そんな上司の後ろでカレンがはらはらしていた。若くて可愛らしく、ふんわりとした雰囲気の彼女は軍人にも颯の部下にも似合わない。はらはらしているのが顔に出ているのも本人は気づいていないに違いない。
「別に、いいけど。あなたがその馬鹿丁寧な言葉使いを直したらね」
 ピアは吹き出した。颯がつられて笑い、カレンは面食らう。アレイシアは大きく息を吐いた。決まってこの、ごっご遊びをするのがこの二人の儀式だ。
「いえ、舐めた口をきくとおたくの助手に睨まれますので」
 颯がにやにやして返す。以前公の場で親しく話していたのを、アレイシアは諫めたことがあった。それを未だに根に持っているらしい。
「うちの導師様はイメージを守らなければ舐められるんです」
 ”不老不死の謎多き魔女”だからこそピアは王宮魔導師でありながら王宮勤めを免除され、天界人の男と同居し、好き勝手できているのだ。不老不死はともかく中身がただの小娘と知れたらどんな扱いを受けるか知れたことではない。
「はいはい。昇進おめでとう、颯」
 ピアは聞き飽きたとばかりにこちらの言葉をうっちゃる。
 颯と出会った時、彼女は現場の下っ端だった。それが三年程で王宮直属にまで上り詰めるとはただ者ではない。
「ありがとう。昇進記念に重要な郵便物を預かってきた」
 颯が一通の封書をピアに手渡す。上質な白い封書と独特の紅い印は王宮から客人に出すものだ。
「新しい魔導師の任命式ね。イオレ・ローレンツ?」
 封を開け中身に一通り目を通したピアから封書を受け取る。『新任魔導師イオレ・ローレンツの任命式に参加されたし』。日時は来月だ。
「ローレンツ?」
 颯を見る。彼女と同じ姓だ。
「私の娘だ。これを機に名前を変えてね、前は瑠璃 環(るり たまき)と名乗っていた」
「環が?」
 思わず聞き返した声がピアと重なった。
 一般的な王宮魔導師は王宮内に与えられた研究室で大勢の助手と弟子に囲まれている。”魔女”の風評を大いに利用して弟子の一人もとっていなかったピアが、一年ほどだけ弟子として面倒をみていたのが環だ。アレイシアの学校の後輩で、彼女は確か父親と一緒に暮らすために第三首都エイローテで就職すると言っていた。
「今後はイオレだ。私も昇進して近くにはいられるだろうが、その、気にかけてやってくれないか」
 颯は決まり悪そうにピアと、こちらを見る。はっきりものを言う彼女にしては珍しい。どうやら彼女の目的は、ピアの護衛でも引っ越しの手伝いでもなく、大事な娘の世話を頼む事のようだ。
「初日に職権乱用とはね。唯一の弟子だもの、任せて。友達の一人娘ならなおさら」
「そうか、よかった。よろしく頼む。私はどうも魔術には疎くて」
 ピアの返事を聞いて、颯はほっとした様だった。その顔は娘を心配する母親のものだ。
「じゃあ、日が落ちきる前にいろいろやっちゃいましょう。東はここで寝床、導師様とローレンツ大尉は食料、カレンさんと私は荷造り。人手が増えて助かるわ」
 日がだいぶ傾いてきていた。ピアが動けなかったため夜を越す準備はほとんどできていない。東はまだピアを心配げに見ていたが、颯の手を借りて立ち上がった彼女から渋々離れる。二人だけで積もる話をしてもらうことにして、アレイシアはカレンと崩壊した事務所に入った。
「地下の荷物を出来るだけ持っていきたいんです」
 カレンは事務所の惨状が想像以上だったのか、瓦礫の山と竜の前で呆然としている。そんな彼女の腕を引いて、埋もれかけた地下への階段を下りた。
「あの、魔導師様の噂って本当なんでしょうか」
「”不老不死の魔女”?」
 おずおずと尋ねるカレンの声は真剣だ。アレイシアは思わず笑った。階段に声が響いて、カレンが身をすくませる。こんなに正直に聞かれるとは。彼女は目を丸くする。反応が素直で見ていて飽きない。
「知らない。私が助手になってから年をとっていないように見えるのは確かよ」
「助手、なんですよね?」
 彼女は信じられないらしい。
「カレンさんはローレンツ大尉の家庭事情を全部知ってる? この数年で王宮直属まで上り詰められた理由は?」
 環――イオレの話を聞いてから渦巻いていた疑問を、カレンにぶつける。颯とはたった二、三年の付き合いだが、魔術師の娘がいるなんて初耳だった。その上颯と知り合ったのは、イオレが弟子入りして一年が経ち出て行った後のことだ。颯が娘のことを今まで隠していたのはなぜなのか。
「・・・・・・知りません」
「そういうこと」
 もしかしなくても今頃ピアが友人から聞き出しているかもしれない。


***
「竜を墜落させたのはあなたでしょ」
 ピアの確信を持った口ぶりに、颯は足を止めた。人の手が入っていない森でたわわに実った果物と木の実を両手いっぱいに抱え、二人はにらみ合う。
「私は魔術に疎いと言ったはずだ」
「そうだったっけ? いやね、年をとると忘れっぽくて」
 颯がしらばっくれる。ピアはその言葉を信じていない。知り合ってからというもの、物事は彼女に都合のいいよう運びすぎている。そこで親子揃って異例の大抜擢だ。
「あのお医者さんの彼氏はどうしたの? 環、ああ、イオレ、だっけ。あの子は父親と暮らすって言ってたけど?」
「聞きたいなら彼氏の盗み聞きをやめさせてくれ」
「彼氏じゃない。男がみんな女の良いように使えると思わないことね。あなたと一緒にしないで」
 心配して後をつけてきていた東が事務所に戻って行った音がする。颯はこれ見よがしに肩をすくめた。
 颯がどうやってこの三年間で王宮直属にまで上り詰めたのか。それは少し探りを入れただけの東にでも知り得た。軍と議会と王宮、それぞれ上層部の男達をたぶらかし利用する。女を武器にしてきた彼女に娘がいたとは。
「彼氏じゃないならアレイシアとの付き合いを許してやればよかったのに。可哀想だった」
「彼をどう扱おうが私の勝手よ。質問に答えて」
 確かに颯と知り合った頃、東とアレイシアの関係は複雑だった。アレイシアはピアに遠慮などしなかったが、東は忠誠心と恋愛を天秤にかけてどちらも選べなかった。だからピアが選んでやっただけの話だ。アレイシアは予想に反して辞めなかった。彼女は優秀だし辞めずにピアは助かったが、東はなかなか割り切れずにいる。
「医者とは別れた。娘の父親とは会ってないし今後会うつもりも無い。ついでに、娘と会えたのはつい最近だ。その時まであの子が導師様の弟子だとは知らなかった」
 颯は淡々と答える。まるで用意していた原稿を読んでいるかのようだ。
「あなたが何を企もうが勝手にすればいいわ。私を利用するならすればいい。でもね、アレイシアは別よ。今後あの子を利用したり傷つけたり、万一竜なんて近づけてご覧なさい。あんたを、殺してやる」