竜と世界と私

一章-一

 華やかな喧噪が街中を覆っている。街の中央に陣取る王宮から放射線状に伸びた八本の大通りに屋台が隙間無く建ち並び、パレードは数日間続いていた。新任魔導師の任命式を明日に控え、喧噪はこれからピークを迎えようとしている。
 そんな中、アレイシアは先月引っ越してきた事務所へ向かっていた。
ピアがどう手を回したのか、ただ単に”不老不死の魔女”が王宮からも嫌われているからなのか、驚くべきことに新しい事務所は王宮のお膝元、第三首都エイローテの一番の大通り沿いに用意された。
 連絡員のひとり雇えない事情――主に引きこもっていたピアの人見知りのせい――があり、書類の提出や連絡は助手の役目だ。鳩で済ませたくても、エイローテは景観と衛生上の問題から街中での伝書鳩の使用を禁止している。
 用事ついでに昼の買い出しをしたせいで荷物が多く、人混みの中で上手く身動きが取れない。結局、普段の数倍の時間をかけてやっと事務所が見えてきたとき、人混みの中に颯の姿を見た。艶やかな長い黒髪、すっきりとした鼻筋、長い脚。私服姿は初めて見たが、遠くからでも見間違えようのない美貌。先週から大忙しだと話していたのに、どうしたのだろう。
「ただいま。あら?」
 やっとの思いで事務所のドアを開けたとき、中は静まりかえっていた。知らず知らず、首が傾く。まさしくあの時の鳩の気分だ。
 おかえり。ピアの不機嫌を固めた声が飛んでくる。方向からして、一階のど真ん中を陣取る長大な机で書類仕事をしているはずだが、机を埋め尽くす書類の塔に遮られて彼女の姿は見えない。
 その向こうに洗い場がある。金髪――東の髪が揺れるのが書類塔の合間からちらり、見えた。同じ高さの黒髪もいる。黒髪、ほのかに黄色い肌、低い鼻。エイローテには珍しい人種だ。
「朱伊(あかい)先生、ありがとうございます」
 彼は事務所の裏で診療所を違法開業している。東いわく医者として腕は良いらしい。魔法薬の調製や使った器具の洗浄をよく手伝ってもらっていた。勿論王宮には秘密だ。
 一階の端から端へ、投げた声に、ひらひらと応える朱伊の手が見える。
 ははあ。分かった。事務所に入ってすぐ左手、来客用のソファーセットでサンドイッチを頬張る女性がいる。いつも通り軍服を着た颯だ。また、知らず知らず首が傾く。
 どうした。尋ねる彼女の声は小さい。やはり、彼女と朱伊のやりとりがうるさいとピアにまた怒鳴られたのだろう。
「さっき、外で大尉を見かけたと思ったんですけど」
 朱伊は颯とつい最近まで付き合っていたそうだ。彼女が娘に会えないかと思い来るのと同じように、彼も彼女に会えると思って事務所に来る。東とは気が合うみたいだったが、顔を合わせると必ず喧嘩になるこの二人が揃うのをピアは露骨に嫌がった。
「顔は見たのか?」
「はい。見間違えようが無いと思います」
「ふーん。私のそっくりさんね」
 さして興味もなさそうに言って、颯はサンドイッチを咥えたまま立ち上がる。
「魔導師様の機嫌も損ねた様だし、今日は退散するよ」
 表から出て行くかと思えば、ずんずん事務所を横断し、朱伊を追い立てて裏口から出て行く。早速言い合いを始めた二人の声が聞こえなくなって、ピアが伸びをしたらしい。しろい腕が紙の塔から突き出た。
「あー、やっと休憩だあ。天鈴、ご飯、ご飯!」
 王宮からの連絡事項を伝えながら昼食を分ける。テイクアウトのオードブルはすっかり冷えていたが、二人とも気にせず取り分けた端から食べていく。
 昨日急にピアだけが調製法を知る魔法薬の注文が入り、手を付けられたのが既に夜、しかも大量で、連日徹夜しても間に合うかどうかというところだ。三人とも寝食を放り出して作業していて、これが丸一日ぶりの食事だった。
「王宮の連中はなんて?」
「明日も大人しくしてろって念を押されたわ」
「じゃあ呼ばなきゃいいのに」
 ピアが不満を露わに鶏肉のトマト煮を自分の皿にそっくり移す。東が空の皿に不満の声を上げるのも無視だ。
「そういうわけにもいかないでしょ。あっちとしてもこっちとしてもね。弟子なんだから」
 代わりに東の皿へ蒸し鶏をよそってやる。彼がそれで渋々納得したのを見届けて、自分の分を取り始めた。実は東と同じくトマト煮を狙っていたのだが、仕方なくサラダばかりの皿になる。
「そのわりに私の見せ場ないじゃない? あら、母親にはあるんだ」
 任命式の進行表をめくっていたピアが手を止める。もう片方の手には食べかけのピザ。あれも目を付けていたのに、いつの間にかあれが最後の一枚だ。
「王宮直属になった任命式がおまけね。こんなのやってた?」
 進行表を覗き込んだ東がせせら笑う。こういった任命式は内々ではやっていただろうが、王宮魔導師の任命式に比べれば行事にもならない。新任魔導師の母親だからに決まっている。
 茶を淹れに立つと、自分も、と二人が空のカップを上げて見せる。はいはい。言うと二人は再び進行表に戻ってあれこれ言い始めた。
「こんなに手の込んだ演出してあの子をどうするつもりなんだか」
「確かに。ここまで宣伝された魔導師なんていなかったし」
 湯が沸くのを待ちながら、二人が話すのを聞いていた。
二人の、王宮に対する悪意に満ちた話は底をつきない。颯の出世が異例の早さである事と、環が魔導師就任を機に名前を変えた事を知っているからきな臭く感じてしまうが、それを差し引いても王宮のこの大々的なパフォーマンスは異常だ。『最年少魔導師』『”魔女”の弟子』『エリート軍人の娘』――三重の売り文句が新聞やパレードで踊っている。