竜と世界と私

一章-二

***
 王宮魔導師は王族にのみ仕える魔術師である。「魔導師」の呼称は一般的に王宮魔導師を略したものだが、魔術上の身分にも「魔術師」の上に「魔導師」があり、「魔術師」の身分は一定の魔術教育を受けることで得ることができる。「魔導師」の身分は天界からその資格を受けたこの国の国王にのみ与えることができ、国王は国と王族に有益な魔術師にその身分を与える。
 国は王族を象徴とし、王宮と同等の地位にある議会が合議をして施政を行う。議会の下に軍があり、軍の中には魔術師部隊もある。軍は議会に使われる立場にあることを不満に思っており、議会は王族を快く思っていない。また王族は象徴である以上、自ら武力を持つことを許されない。王宮の警護は軍から派遣された王宮直属の軍人が行っており、王宮魔導師はそんな王宮にとって数少ない武力になり得る。
 イオレ・ローレンツの王宮魔導師任命式はこの事情からすると異例だった。
 謁見の間に議員と軍の要人に加え、魔術師部隊が数人ずらりと並ぶ様は物々しい。
 その向かいに王宮魔導師達が並んでいる。アレイシアはその中の一人――ピアの後ろに立って、開いた扉へ眼を遣った。
 紅い絨毯を黒い上着を着た少女がゆっくり歩いてくる。すっきりとした鼻立ちは母親に似て、目元と、ひときわ人目を引くあおい髪は父親似だろう。数年見ない間に随分大人っぽくなった。緊張して固くなっているが、歩調に乱れはない。国王の前に膝を着く。国王の手によってその肩に紅い上着が掛けられた。
 イオレは――環はあの上着を着たかっただろうか。彼女がピアの弟子として過ごした一年程の間、魔導師になりたいとは聞かなかった。彼女はその才能と家族を利用されているのか、利用しているのか。調べても何も出ないのは、利用していると思いたくないのひいき目のせいだろうか。
 王族が引き上げ、式典が形式上終了する。この後、豪華で、駆け引きと思惑が蠢く食事会が開かれる予定だった。いつもピアは食事会を欠席するが、主役のイオレには助けが必要だ。嫌々社交場に行く魔女と、ここで将来が決まるかもしれない少女の間に入ることを思うとアレイシアは意識が遠くなりそうだった。どうなるのか想像を試みたができない。想像を絶する。環はピアよりも人見知りする上、人付き合いが苦手だ。
 式典が終了して、イオレの元へ最初に歩み寄ったのは軍の魔術師部隊の一人だった。イオレの背中が戸惑い迷って、
「イオレ!」
 王宮に入ってから一言も発していなかったピアの声で反射的に振り返る。その顔は驚きと、緊張のせいだけでなく強ばって引きつっていた。ピアの声はひそひそ声で静かに騒がしい部屋を静かにさせる程には大きく、投げやりだった。彼女は弟子を怒鳴っておきながらゆっくりと歩み寄り、わざとらしく肩を抱く。その間イオレは強ばった顔を必死に取り繕うよう努力して――失敗していた。助けを求めてこちらを見るが、してあげられることはない。諦めろと眼を逸らすと、隣にいた母親と眼が合ったらしい。首ごと顔を逸らして、ご立腹の魔女の説教に相づちをうち始める。
「後を頼む」
 颯が囁いて立ち去っていく。行く先はイオレに最初に歩み寄った魔術師部隊の一人だ。引き留める間もない早業だった。娘をあんなに心配していたのに、どうして。
そのとき、非常に近くで甲高い獣の鳴き声が聞こえた。それは呻り声に変わってどんどん大きくなる。まるで近づいてきているようだ。鳴き声は何か大きな獣――例えば先月も聞いた――のもので、空から――例えば墜落して――近づいてきている。
「竜だ! 墜落する!」
 鋭く叫んだのはピアだった。はっとして天井を見ていた眼を室内に向ける。魔導師達は王宮の奥へ駆けだし、議員達は固まり、軍人達は議員達を庇う。ピアはイオレを庇って出口へ駆けだした。颯を探すが、見つからない。おかしい。ピアが警告するより前にこの部屋から出ていたことになる。娘を陰謀渦巻く大人達の中に放って。
 天井が軋み始める。その中で、先生、叫ぶ声が聞こえる。声は泣いている。声はイオレのものだ。声の先に、倒れたピアとそれを揺するイオレの姿がある。迷っている暇はない。二人のもとへ駆けだす。
 魔術を使う余裕はない。ただ必死に走って、ピアを抱えて、イオレを走らせる。事務所の時より崩落が遅い。
 ぱっ、目の前が開けて王宮から出たとき、目についたのは広場を埋める人のうごめきだ。むせるような埃っぽさの中に懐かしいにおいがある。眩しい朝日と、ぼんやりした大きなくろい染み。幼い頃見た光景が一瞬目前に浮かんだ。振り返る。ミシミシ。軋む音は高い。王宮の屋根からくろい竜の頭が顎を上にしてはみ出している。その下、屋根と頭の間にしろい竜の尾がある。においが鼻をつく。痛いほど吸い込んで、視界が揺れた。後ずさりして階段を踏み外したらしい。しろい尾が色を失って、姿を、存在を消していく。完全に消えると、くろい竜の身体が屋根を突き破った。ず、とも、ど、ともつかない轟音が空気を震わせる。行き場を求めてうごめく人の波に巻き込まれて遠のくが、王宮から眼を離せない。尾だけしか見えなくても間違いない。でも、どうして。
 召喚。行き着いた可能性に、眼の前が色を付ける。布を隔てたように聞こえていた音が頭を叩いた。誰かがしろい竜を召喚して、墜落するくろい竜を受け止めた。そうに違いない。
 見回す。イオレとピアとははぐれてしまっていた。東はどこだ? あの状態のピアをどうするのが一番良いのか、知っているのは彼だ。天界人はこういった式典に参加できない。だから東とはこの広場で落ち合う予定だった。
 焦って考えがまとまらない。ピアを探さなければならない。上司だ。義務だ。だが、あのしろい竜を召喚した誰かはまだこの広場内にいるのだ。
 見回す。紅い上着は探さない。あおい髪が見えた。イオレと同じ色。だが彼女より背が高い。その頭は人の波に逆らって、ある場所に留まろうとしているみたいだった。波の合間に顔が見える。あおい髪の若い男性はくろい髪の女性を支えている。二人とも朱伊と同じ肌の色をしていて、それでなくともこの人波の中で目立つ美男美女だ。女性のほうは遠目からでも顔色が悪い。
 彼女だ。直感は彼女の腕を掴んで裏付けられた。びっくりする程細い腕に魔術の残り香と、あの懐かしいにおいがある。
「彼女でしょ、あのしろい竜を呼んだの。違う?」
 女性を抱え慌てて逃げようとした男性の顔が言う。なんで。