竜と世界と私

三章-3

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 なんて生ぬるい尋問だろう。榊麻耶はせせら笑った。異人部隊の男が憎い女を殴ろうとする己の腕を抑えようと机の隅を握る。血管が浮き上がり、それでも抑えきれずに机を投げた。当たらなかったのは、男が自己抑制を成功させたからだ。彼は我慢しきれず部屋を出て行く。これで十五人目だった。
 この連中は麻耶を拷問しない。拷問どころか殴りさえしない。憎い仇だと言っているくせに。理由など興味はない。
 連中が繰り返し聞くのは「なぜあんなことをしたのか」だ。連中の指す「あんなこと」がどれなのかは知ったことではない。ただなにであれ、理由などない。ただ勝手に巻き添えをくっただけだ。仮に理由があるとすれば、死んだ奴が人並み外れて不運だったからだ。そんなことを知りたいだなんて、馬鹿な連中だ。あの女はとうとうこんな連中を焚きつけるまで落ちぶれたのか。あの女には似合いだ。
 十六人目は若い女だった。甘ったれた十代に見えるが、他の隊員からして二十歳は超えているのだろう。女はカレンと名乗った。知らない名前だ。そもそも連中の名前は一つとして知ったものがない。このまま同じように十六人目を追い返すのも飽きてしまった。この女はからかい甲斐がありそうだ。
「カレン、良いことを教えてあげる」
 麻耶は猫なで声を出した。カレンは不快な表情を隠したつもりだろうが、まるで隠しきれていない。
「白伊颯って女は危険よ」
 白伊? 彼女が聞き返す。自分達が追っている組織の名前も知らない。この不運なだけの連中はあの女の素性までも知らされず復讐に利用されているらしい。
「あの女の本名。白伊颯。あなた達を騙してる。名前を偽るのはなぜだと思う?」
「異人は仕事を制限されるから」
「あの女があなた達の大切な人を巻き込んで死なせたからよ。それを隠すため」
「それなら聞いた。だからあなたをおびき寄せる囮を自ら志願してくれた」
 カレンは立ち上がり麻耶を見下ろす。
「ならあの女が他人を巻き込んだ原因は? 身勝手な家出だってことは?」
 話して。彼女が先を促す。信じるつもりはないようだ。一歩、近づいてくる。見上げなければ顔が見えない。麻耶はカレンを見上げた。彼女の腰には古ぼったい小銃がある。
「高名な家だから、親族とそりが合わなくて飛び出したのよ。私達が連れ戻すのに手段を選べなくなったのはあの女が周りの迷惑を顧みないから。たとえ無関係の人間が死んでも、自分が可愛いのよ」
 カレンの身体が動揺に揺れる。麻耶は小銃めがけて体当たりした。手錠はとうに外してある。しかし銃は奪えなかった。なぜだかわからないが、顎の下から押し上げられる硬い感触がある。銃口だ。ゆっくり撃鉄の動く振動がある。カレンは引き金に指を這わせて、左手が麻耶の頬を撫でた。怖気が走った。うなじが粟立つ。彼女の手つきは慈しむように、優しい。
 あとは? 耳元で囁かれる。ゆっくり、子供にするように。
 嫌な汗が噴き出る。それが出たはしから冷えていくのか、身体がやけに寒い。
「あの女は、巻き込まれた不運なあなた達を使って実家に復讐するつもりなのよ」
 もう一歩。カレンが囁き銃口が更に押し込まれる。
「男はどう。それが嫌で家出をしたのに、あいつは女をして手当たり次第に男を利用する。私の大切な人だって、」
「私のものよ」
 引き金が引かれた。胸に二発。カレンは麻耶の身体を支え、抱き寄せる。
「ありがとう、麻耶。これまでの功績を忘れない」
 おやすみ。囁く声の優しさとは裏腹に、麻耶が最期に見たカレンの顔はいびつに歪んでいた。


***
 街がざわついている。夜になってから降り始めた雨がその雨音を少し強めたせいかもしれない。どうにも落ち着けなかった。榊麻耶の尋問が気になるのか、娘が心配だからなのか、娘のためにその母親を死地へ送り出したからなのか。本当はどれなのかわかっているから、流風は一人きりの部屋の中を行ったり来たりしていた。
 こんなはずじゃなかった。娘を昇進させてやりたかった。それだけだったのに、娘は才能を軍に利用されて、止めようとしたときには手遅れだ。カレンと一緒なら自分だってまともな人間になれると思っていたのに、逆戻りしている。
 ドアが乱暴に叩かれる。異人部隊かと思い開けた先にいたのはずぶ濡れのカレンだった。腹に血の染みがある。
「カレン、血が」
「逃げて!」
 まっすぐ胸に飛び込んできたカレンを受け止める。こちらを見上げる彼女の顔は必死そのものだ。
「榊麻耶が、みんなが巻き込まれた原因は大尉の身勝手だって」
 榊麻耶の言いそうなことだ。異人部隊に颯をリンチにさせるつもりだろう。
「メイズは信じたのか」
「いなかったの。でもみんなは信じたみたい」
 部隊の尋問室には盗聴器が仕込まれている。カレンの聞いたことはその場にいた全員が聞いたとみて間違いない。
「みんな彼女を探してる。あなたも」
 榊麻耶を釣る作戦にも尋問にも立ち会いを禁止された。それに大人しく従っていれば信頼は揺るがないと思っていたのに。一度疑念を挟んでしまったらもう取り返しがつかないなんてことは、今回ばかりは例外だと思いたかった。随分甘ったれたものだ。
「落ち着け。逃げたら弁明の余地がない。カレン、その血は? どうした?」
 染みはさほど大きくない。カレンの血ではなさそうだが、戦闘員でもない彼女に血が付く状況はただごとではない。
「どうして中に入れてくれないの?」
 カレンに急に突き飛ばされてよろける。なにを急に言い出したのか。
「おかしいじゃない! 恋人が血を付けて雨の中ずぶ濡れで危険を知らせに来たのに、玄関先に突っ立ってるなんて!」
 カレン。なだめすかすものの、彼女は耳を貸さない。こういう所のある子だが、辛抱強く言って聞かせれば落ち着く。しかし彼女はきいきいまくし立てた。
「私、殺したの! 榊麻耶を殺した! 銃を忘れてきちゃったの、あなたにもらった銃なのに!」
 血の気が引いた。カレンが、カレンが人を殺してしまうなんて。
「だから一緒に逃げてよ! 一人じゃ無理!」
「待て、待て! 逃げるのはまずい」
 なんで! カレンは顔を涙でぐちゃぐちゃにして叫んだ。
 メイズなら彼女の話を信じただろう。一度逃げて、しかも仇かもしれない男に泣きついた後でなければ。そもそもこのアパートは部隊に監視されている。今の部隊ならカレンの共犯を確実視しているはずだ。
「僕にやれと言われたと言えばいい。逃げるのは僕一人だ」
「私も行く」
「駄目だ。万が一捕まったら二人とも殺される」
「構わない。あなたと一緒なら」
 カレンの眼には迷いがない。流風は迷っていた。その迷いこそが答えだ。