竜と世界と私

三章-2

***
 昨晩の客は颯の連れだと翼から聞いた。彼は気の毒になるくらい謝ってきたが、彼よりも颯本人から詳しい話を聞きたい。別に謝ってほしいわけではないのだ。ただ、話が違うじゃないかと思っているだけで。
 そんなことを考えながら同じ書類を繰り返し見ていた。頭の中に入ってこなくて、いつまでたってもサインができない。だから事務所に入ってきたのがてっきり颯だと思っていた。分かっていれば一歩だって入れてやらない男だとはこれっぽっちも思っていなかったのだ。
「久しぶりに見るが、変わっていないな」
 声に頭が跳ね上がった。腰が浮きそうになるのを押しとどめて平静を装い、意識して横柄に背もたれに背を預ける。入ってきた男は室内を品定めするみたいに見回す。
 天界人の正装は白と決まっている。そんなものを隙無く着込んだ男は昴という。顔立ちは東に似ているが、昴の方が老獪な雰囲気を纏っている。最後に会ったのはもう何十年も前だが、記憶の中の姿と一分の違いも無い。
 うつらうつら本を読んでいた暮葉が腰を浮かせる。彼女には最近アレイシアの代わりに家事を頼んでいた。愛想があって客人には好評だ。
 上に行ってて。そんな暮葉に手のひらを見せて茶を運ぼうとするのを断り、リビングから追い出す。幸い東と翼は外出中だった。
「変わるようにできていないもの」
 暮葉が階段を昇りきるのを見届けてから、ピアは昴に向き直った。もちろん茶など用意しない。
「その口も変わらないな。肝心の機能は劣化しているのに」
 言い返してやろうと身構えていたのに、咄嗟に全てが動かなかった。一瞬後に動き出した思考の出す「なぜ」が頭の中をぐるぐる回る。
「どうした口答えはなしか」
「劣化なんかしていない。結論を出すには早すぎる」
「意見を聞きに来たんじゃない。お前の機能は劣化した。後始末は私がしてやる」
 竜が頭の上に落ちてきた時、もしかしたらそうかもしれないとは思っていた。ただそれを決定付ける材料が足りないから、そうではないはずなのだ。だからはっきりさせるために竜と会うつもりだった。
「証明するから、少し時間をちょうだい」
「竜が勝手にするだろうそんなもの。お前と竜はその形しか違わないのだから」
 昴はこちらの言葉を取り合う気が無い。昴に限らずあの”皿”に住む天界人はみなそうだ。彼らにとってピアは管理するべき物であって生物ではない。
「竜に私を引き渡すの」
 竜とピアの体質は同じだ。天界人とも同じ、魔術粒子の塊。地上に余剰な魔術粒子が生じると竜を形作る。そして逆も。その時に竜をばらばらにするのはピアの役目だ。体質を同じくするからこそ、それを熟知しているからこそできる。
「形が違うだけで同族とは認知されないらしいな。さぞ恨みを買っていることだろう」
 生きるのも死ぬのも世界に振り回される点も同じだが、役目は違う。恨みを買うのは当然だと我ながら思う。自分がこの立場にいることに納得なんかいつまでたってもできない。
「魔術粒子の受け皿を新しくすればこの騒ぎもおさまる。良いことづくめだ」
 確かに、私もやっとこの生き地獄から解放される。


***
 大通りの様子がいつもと違う。心なしか人通りが多く、ピリピリした空気がむず痒い。
 見れば颯も気付いているらしい。どちらともなく早足になる。
 人の波の合間合間に青い色を見て気が早まる。早坂の着ていた青と同じ色。さっき早坂が姿を見せたのは偶然ではなかったのかもしれない。議員の口から魔術師団の言葉が出たのも偶然ではないのかもしれない。魔術師団が議会と組んでピアになにかしようとしているのではないか。考えが飛躍しているのは自分でもわかったが、アレイシアにはそう思えてならなかった。
 急に人の流れが割れる。眼に飛び込んできたのは早坂と同じ青と、その中で鮮烈さを放つ白だった。青は魔術師団の、紅は魔導師の、白は天界人の色と決まっている。白は天界人の正装の形をしていた。東と同じ金髪と人形じみた顔立ちは天界人そのものだ。その男の傍らに紅い上着がいる。青い上着に囲まれたそれはピアだ。こちらからはその背しか見えない。
 なんだ、これは。
 アレイシアは呆然とした。声なんか出ない。
 ピアを脅迫して無理矢理同意を取り付け連行している様に見えた。
「なんだ、これは?」
 声に出したのは颯だった。立場上礼儀を弁える彼女の、怒りを隠さない声はピアに向けられたものだ。約束と違うじゃないか。言外にそんな意図を感じる。彼女は、ピアが自分自身の意思でこうしているとでも思っているのだろうか。
ピアはぴくりともしない。代わりに答えたのは天界人だった。
「竜の墜落の調査です。ピア・スノウへの要請についてご存じのはずでは?」
 慇懃無礼な口ぶりに腹が立つ。その話はさっき聞いたばかりだ。話し合う時間も取らせないなんて、姑息なだまし討ちを。そもそもなぜ天界人が関わっているのだ。
「助手の私が先ほど聞いたばかりです。導師はまだご存じではないはず」
 呆然としていた頭にふつふつと血が上ってくる。東はなにをしているんだろう。ピアをこんなに簡単に渡してしまうなんて。
「私のほうから直々に、お伝えしました。緊急事態ですから」
「それにしたって強引過ぎる」
「あなたがたがどう思おうと、話は通っていた。そういうことです」
 一歩、踏み出して噛みついた颯を天界人はつまらないものを見る眼で受け流す。
 議会は最初から返事を聞くつもりがなかった。必要だったのは伝えたという事実だ。助手なんか眼中にない。
「それなら助手である私も同行します。その必要性もご存じですよね?」
「必要ないわ」
 天界人が答えるのを遮って、そっぽを向いたままのピアの声が飛んでくる。天界人は肩を竦め、そういうことです、と一言。
 なんだ、これは。
 よりによってピアに、眼中にないだなんて言われる筋合いはない。議会にしっぽを振る魔術師団を侮蔑し天界を憎悪しているくせに、その連中とつるんで。怒りの矛先がさまよう。友達だと言ったのに。
 急ぎますので。天界人が言って一団が動き出す。こちらに背を向けて、歩き出す。
「これは裏切りか?」
 紅い後ろ姿に颯が投げかける。ピアは立ち止まって、一度こちらを振り返った。その顔に表情は無かったが、微かに口角が上がる。そのぎこちなさはアレイシアの背を撫でた手と同じだ。そうに決まっている。
「後を追わなきゃ」
 胸の中はぐちゃぐちゃだ。でも頭の中は澄んでいる。その中の答えが口を突いて出た。後を追ってどうしたいのかわからない。なぜそうしなければならないのかさえ、自分の今の気持ちさえわからない。それでも、友達にあんな顔をさせておいて、放ってはおけない。
「落ち着け。今は頭に血が上ってる。東なら何か知っているだろう? 話してからでも遅くない」
「どうしてそんなに落ち着いていられるんです。大尉だって困るでしょう」
 それは、そうだけど。颯はぼそぼそ呟く。彼女を今さら無責任に感じてしまうのはなぜだろう。
「私はしばらくエイローテを離れる。東の国境沿いまで行くことになった」
 むしろピアがいなくなって自分が不在の間事態が進まないのは好都合だと言いたいのか。
「だから私は手を貸せない。翼なら」
「もういい。あてにしません」
 颯のしおらしい態度がわざとらしく見える。言葉を遮って、振り返らず事務所に入りドアを閉めた。その音が思いの外大きく響いて、我ながらびっくりする。
颯になんてことを言ったんだろう。失礼なことをした、そんな後悔が胸に去来するが今はそれどころではない。どうせ彼女はしばらくエイローテにいないのだから、謝るにしてもピアを連れ戻した後だろう。
 ため息をはき出しながらドアに寄りかかる。これからどうしようかと考え始めたところで、階段のてっぺんからおずおず顔をのぞかせた暮葉と眼が合った。
 おかえりなさい。言う声もおずおずしている。
「何かあったの?」
「ごめんなさい。私が上に行っちゃったせいで」
「何かしたの?」
「私は別に・・・・・・。東さんにそっくりの人が来て、ピアさんが私に上に行っててって言ったから」
 なるほど、他人に聞かせたくない話をしたのか。
「大丈夫、暮葉さんのせいじゃないから。なにを話していたかちょっとでも聞かなかった? あと翼さんと東は?」
「翼も東さんも外です」
「外って、その、東そっくりの人が来たときには外出してていなかったってこと?」
 そうです。暮葉は未だおずおずと頷く。
「えっと、久しぶりだけど変わってないとかなんとか言ってたと思います」
 ピアがあの天界人と知り合いだったとしても驚くことではない。天界人の東だけがピアの体調不良に対処できた。それに彼女は天界を目の敵にしていた。よく考えずともピアと天界との間に並々ならぬ因縁がある事は明らかだったのだ。アレイシアが今までずっと見て見ぬふりをしてきただけで。
「そう。ありがとう。ね、本当に暮葉さんのせいじゃないから。私怒ってないよ」
 自分自身にいらいらしていた。その中で暮葉と話すのは疲れる。だからといってとげとげした態度でいていい理由にはならない。
「お願い、協力して。取り戻すの、ピアを」
 友達の名前なのに、口にするのは初めてだった。