竜と世界と私

三章-1

 細長いロの字型に組まれた長机には議員がずらりと並んでいる。アレイシアはそれを縦方向に見ながら、この空間から早く抜け出すことばかりを考えていた。
「魔導師本人でなければならないと明記したはずだが」
「申し訳ありません。導師は研究の手を離せませんので」
 しれっとした態度を心がける。内心冷や汗をかいているのだが、こんなことで下手に出てはピアの沽券に関わる。今日もピアを連れ出すのに失敗し、一週間前に颯から受け取った議会からの召喚状にのこのこ応える羽目になった。
「異人の事務処理には出られるのにここには来られないと言うのか」
「物事にはタイミングというものがありますから」
 ロの字型の長辺から非常な威圧をびりびり感じる。気にするな。王宮魔導師の助手なのだから、王宮管轄の人間に議会は手出しできない。睨まれようがなんだろうが、実害はないのだ。そう自分に言い聞かせる。
「墜落した竜の調査を依頼されるということですが、なぜ議会の方からこういった依頼を? 差し出がましいようですが理由をお聞かせ願えませんか」
「協議の結果そのような結論に至った」
「ご存じかとは思いますが、墜落直後に王宮から要請があった際導師は墜落の原因について不明だと返答しています。その上でなぜ議会から依頼されるのですか?」
 議会もそれ位は王宮と情報を共有しているだろう。
「だから協議の結果だ。不明ならば調べろということだ」
「調査に当たって導師が最適だと判断されたということでしょうか」
 そうだ。答える議員の声が苛立ちに震えている。そんな協議は王宮でも行われていて、その結果ピアに調査の打診が来るはずだ。しかし来ていない事実を突きつけても答えは同じだろう。王宮とは別に調査したいなら魔術師団を使えば良いのに、なぜそうしないのか。
「魔術師団では対応できないと判断されたということですか」
「いや、調査には魔術師団と連携を取ってもらう」
 ますますわざわざピアを使う意味が分からない。議員連中はピアに関わりたがらない。でもだからこそ、それだけ必死だということにはならないだろうか。
「・・・・・・分かりました。前向きに検討します」
 果たしてピアがやると言うだろうか。言わせるのはひと苦労だ。
 先行きが不安なものの、ひとまずあの空間から解放されたことで肩から力が抜ける。
 議会の行われる議場はエイローテの中で王宮の反対側に位置する。行政を担当する第三都市エイローテはその中心を王宮に据えているため、議場は街の中心から離れている。議場を中心に行政施設が立ち並び、商店やレストラン等が集中する王宮周辺とはまた違った賑やかさのあるエリアだ。事務所の取引先もいくつかここにあるが、連絡はほとんど王宮と議会を経由しているからアレイシアが来る機会はほとんど無かった。そんな手順を踏まなければもっと迅速に物事が進むのだが、所属による事情というものがある。議会は民間の魔術師を集めた魔術師団を抱えているのだし、急を要することはそちらがするのが定例だ。議会と魔術師団の関係は真っ黒だがその分連携が取れている。竜の件だって魔術師団で調査をしているものだと思っていたのだが、一体なぜ面倒な手続きまでして王宮魔導師など使おうと思ったのか。
 大人の事情なんてものには関わりたくない。そんなことを考える時間があったら自分の研究を進めたい。東に頼んで調べてもらうことにする。
 議場の周り一帯はすっきりとした背の高い建物ばかりが並んでいる。普段見ない町並みが物珍しく、遠回りをしてふらふらしていたところで見慣れた後ろ姿を見つけた。軍は議会の所属だから、軍本部は議場内にある。軍服を多く見かける中一目で颯だと分かったのは彼女の着ているそれが他と大分異なるからだった。制帽はいつもと同じだが、上着の丈が短く、後ろからシャツの腰部分が覗き見える。女性制服のタイトスカートは逆に長い。足首まで届く長さだ。そのスカートには腰までスリットが入っていて、歩を進める度にスカートが翻り、むき出しになる太股のしろさが遠目にも眩しい。そのせいか歩幅がいつもより小さいようだ。
 大尉。呼び止めてこちらを振り返った颯の表情はどこかぎこちない。王宮に竜が墜落した日の後、颯は何度も見舞いに来てくれていたし、彼女達の事情も少しではあるものの聞いて理解はしたつもりだったから先日の一件に関して気まずさを感じなくなってきていた。むしろ颯よりもイオレに対する気まずさの方が大きい。
 服装のいつもと違うことを尋ねると、洗い替えがこれしかなかったのだという。
 颯と知り合った直後に東とピアがしていた噂話を思い出す。将軍の愛人。
「こんな所にいるなんて珍しいな」
「先週大尉が持ってきてくださった召還状、覚えてます? あれで」
 下世話な噂話だ。アレイシアは笑顔を作った。
 颯はさして興味もなさそうに相づちをうつ。心ここにあらずといった風だ。先日の件で気まずさを感じているからではないらしい。その眼の中は赤黒いどろどろとしたものが渦巻いていて、今彼女を動かしているものがそれただ一つに思える。
「あの、なにかあったんですか」
 聞かないのも不自然だと思い至って聞いてみる。颯は意外そうな眼をこちらに向けた。
「ああ、いや、なんでも」
 何か言いかけた風だ。ピアならまだ突っ込んで聞けるのだろうが、アレイシアには無理だった。聞いたところで掛ける言葉を自分が持っているだろうか。
 再び無言で歩き出したところに、後ろから男の声が飛んできた。まさかとは思ったが、アレイシアを呼ぶ声だ。ちらり、振り返って見た声の主は二度と会いたくなく、二度と会わないだろうと思っていた男だった。青い上着を着た中年の男。顔立ちから一目で異人と分かる彼は今や魔術師団を影で操るまでになった。
「やっと魔女の小間使いを辞める気になりましたか」
「仕事で議場に来ていただけです」
 アレイシアが魔術学校を卒業する時にしつこく魔術師団へ勧誘してきたのがこの男、早坂だった。既にピアの助手になることが内定していたため断ったが、勧誘のためにピアと東にまで嫌がらせをしてきたのだった。あの二人に手ひどい報復をされたはずだが、まだ諦めていなかったとは。
「小間使いは所詮小間使い。あの女は必ずあなたを使い潰して捨てる」
「知ったふうな口をきかないでもらえます」
 早坂はいつもこうだ。ピアをこき下ろして魔術師団の方がいくらかましだと言い勧誘する。早坂に限らず誰だってそうだ。ピアがどんな人なのか知りもしないくせに。
「知っているからですよ。私だって捨てられるとは思ってもみなかった」
「魔術師団も使い捨てにしますよね」
 でまかせに飽き足らずひどい嘘まで。そもそも魔術師団は人を非難できるほどよく出来た組織ではない。議会との真っ黒な癒着、理念と相反する利益追求と非合法実験。湯水のごとく魔術師を使い、使い物にならなくなれば捨てる。その組織を指揮するこの男に、ピアをとやかく言われるのは我慢ならなかった。
「あいつはそんなやつじゃない」
 口を出さないで下さい、と諫めるものの、颯は早坂と息のかかる程距離を詰める。彼は彼女を見るだけで蔑む。
「この馬鹿女。せいぜい使われていろ」
「私とこの距離でそんな口をきく男がいたとは」
 颯が首を傾げ、剣に手を這わせる。早坂はそれをちらり、見て、両手を挙げた。降参のポーズ。
「これだけは言っておく。アレイシア、魔術師団に来たほうが身のためだ」
 捨て台詞を残して、早坂は足早に去っていく。いつだって逃げ足の早い男だ。
「ありがとうございます。かばってくださって」
 恐る恐る、早坂の後ろ姿を睨む颯を見上げる。彼女はこちらを横目に見るだけ。
「友達だからな。当然だ」
 ピアが彼女を友達だと言っていたことを思い出す。まさか両思いだったとは。
「昨日の夜、事務所に客が来たらしいじゃないか。呼んでくれれば良かったのに」
 昨晩、夜遅く事務所に物騒な客が来ていたらしい。アレイシアは眠っていたところを飛び起きたのだが、傷に障るからと対応を東に任せたのだった。
「てっきり呼んだものだと思っていたのですけど・・・・・・。一体何だったのかご存じですか」
「ああ、いや。そういうわけじゃない。翼に話だけ聞いたものだから。様子見に寄ってもいいか」
「それは、構いませんけど。そんなことを聞くなんて本当に何かあったんですか?」
 人の仕事場を休憩所みたいに使う、とはピアがよく言っている。本当にその通りだから、颯のこの態度は今までに無くよそよそしい。