竜と世界と私

四章-二

***
 部屋に躍り込んできたのは少女だった。彼女が構えるゆるく湾曲した細長い刃物がぬめる様に煌めいて、腕から長く垂れた袖――異人が極まれに着ていることがあるワフクの、桃色地に白、赤、青、金色と、とりどりの色が、彼女を薄くらい部屋で浮かび上がらせて見える。黒髪を結い上げた真しろい顔は無表情に、竜へと標的を変えた。元よりこちら、颯を抱えるアレイシアを目指し駆け入ってきた速さと勢いを、身を捻る方向転換と刀の振り抜きへつぎ込んだようだ。鮮やかな色が、刀に光の尾を引かせて回る。
 一瞬のことだ。ナディアは動かない。アレイシアは竜に弾かれた刃へ、無我夢中で命令する。
 刃は少女には当たらなかった。が、彼女の刀には当たった。硬質の細い音、廊下で轟音、男の声。少女がたたらを踏む。後ろを、部屋の口を振り返る彼女の直近を竜は何事も無かったかのように通り過ぎた。
 メイズ! 少女と、男の――翼の兄の、声が重なる。廊下から男が二人、もみ合いながらなだれ込んできて、ナディアが大柄な方の男の顔面へぶつかり取りつく。あおい髪の男はその隙に大柄の男から飛び退く。男と少女から距離をとってじりじりと、二人を睨めつけた。
 あおい髪の男はかなりの長身だが、その彼よりも二回りは全体に大柄な男は禿頭、しろい髭を顎下へ幅広に揃えている。しろみのある肌、竜の合間から見える顔立ちはこちらの世界の人間に見えた。黒衣の彼の手を、くろい竜は巧みに避け頭のてっぺんへ。
 男は――メイズは頭を大きく振って、
「あの女は私達の仇だ」
 颯を指し示した。そのついでに少女と眼で会話したらしいが、こちらに背を向けた少女の顔は見えない。
 同じだな。ナディアのそんな独り言が頭の片隅にぽっと出て転がる。竜はつまらなそうに鼻を鳴らして禿頭から飛び立った。同じ? 問うものの返事はない。
「作戦の前に当人が話した通りだ。榊麻耶に何を吹き込まれたが知らないが、そんなものを信じる程馬鹿だったとは思わなかったよ」
「私もだ、流風」
 二人の男は知り合いであるらしい。あおい髪の男――流風は言い返す言葉に詰まったようだ。メイズの眼には軽蔑がある。
「そんなにあの女が良ければ勝手にすればいい。カレンに榊麻耶を殺させずともな」
 アレイシアには話が見えなかった。だが、メイズが颯を害そうとしているのはわかる。腕の中で死んだように眠る傷だらけの女性を、抱き寄せる。強く。この女性はただの母親だ。少なくとも、自分にとっては。
「カレン?」
 不意に竜が男達に水を差した。今度降り立ったのはこちらの頭の上だ。
「竜は黙っていろ。関係ない」
「この男の新しい女だ。私の部下だが、彼に白伊颯の監視をさせられていた。部下としてな」
 ナディアを無視しようとする流風に対し、メイズは答えることで当てこすった。新しい女に昔の女を探らせる。普通の発想じゃない。引いたが、竜は別段気にしたふうもなく先を促す。それで?
「カレンはこの男の指示である女を殺した。私を始めとする異人部隊全員の仇である女だ。こいつが、白伊颯を守るためだとも知らずに」
「指示なんかしていない」
 何とでも言えばいい。メイズは食ってかかる流風を軽くいなすが、言い合いが始まる。頭に血が上っているらしい流風はこうして見ると彼の弟とそう変わらない。
 カレン。名前を咀嚼して竜はぐるぐる唸る。考え事をしているらしい。意識の片隅、ナディアの存在を感じる一角でぐるぐる考えが回っている。例えるなら、新しい家具をどこに配置するか迷っているような、出口のある悩みだ。話が見えなくて気になるが、詮索している場合ではない。早くここを出なければならないのに。
「白伊の、あの家がどれだけ異常かも知らないで、颯を逆恨みするのか」
「知っていたくせに黙っていたやつがよく言う」
 二人の言い合いは続いている。はたから聞いている限りでは、情報の出し惜しみをして協力してこなかった流風に対するメイズの失望と軽蔑に正当性があるように思えた。
「それなら、桜花(おうか)はどうだ。朱伊桜花。朱伊皐月の存在は知っていたはずだろう。なのに関係性を調べようともしなかった」
 びくり、ワフクの少女が肩を跳ねさせる。朱伊。暮葉と皐月、あの兄妹と同じ姓だ。今度返事に詰まったのはメイズの方だった。
「朱伊先生に直接お尋ねになればよろしいかと思いますが」
 アレイシアは努めて強く、言った。まるで話が進まない。二人の男のどちらが正しいかなんて、そんなものはどうだっていいことだ。
「大尉は、この女性は怪我を負っているんです。痛みに耐えられないほど、命に関わっているほど、なのに、」
 男は二人とも、はたとこちらを見て止まった。その眼を見て、この熱はなんだろう、思ってしまう。自分はなぜ怒っているのか、それが、この男達にはどう見えているのか、そんなふうに考える先をすり替えてしまうから。すり替えてしまうから――、これは、これはナディアの考えだ。
「なのに、こんな事で時間をくっているのは馬鹿馬鹿しい。あなた達はこのひとに死なれたくはないはずだし、じきここは見つかります。そうなったら、困るんじゃないですか」
 すり替えて構わないじゃないか。まるで過ちみたいに。相手の立場で考えれば話しも上手くいく。今回は少し、かなり強引だが。ピアならもっと上手くやっただろう。さっきナディアを相手にした時のように。自分には出来ない。
「出来なくて良い」
 悔しい。唇を噛んだ頭の上から、竜の声が降ってくる。は、問う声が三人分重なった。
「我々への協力だ。私とアレイシアには白伊颯を安全な場所まで連れ出す手段がある。お前達は邪魔さえしなければそれだけで良い」
 は、再び声を出してしまったのは困惑したからだ。竜は別に、この未熟さを肯定したわけじゃない。頭頂を蹴られる感覚がある。羽ばたくナディアの、翼の影が灯りを明滅させる。
「協力しよう。こちらも、その女が今死ぬのは本意ではない」
 メイズの声には真意がないように思えた。ナディアも同意見だった。竜は鼻を鳴らして、言う。それで?
「ここにいる全員が安全な場所へ辿り着くまで危害を加えず協力する。だが、条件として朱伊皐月を異人部隊に引き渡してもらう」
 随分言葉を選んだ物言いだ。言っていないことはやらせてもらう、そんな意味合いを感じ取って、覚える。断るつもりもないが承諾の仕方にも意味があるはずだ。
「わかった。で、どうすればいい」
 だが、条件をたった一言で呑んだのは流風だった。メイズへの関心を投げ捨てて、彼はこちらを向く。