竜と世界と私

一章-六

「私達この世界の人間はね、この世界が限られたものだって知ってる。あなた達がいた世界の中に、ちっぽけなこの世界が隠れているってことをね。外の世界の住民は知らないみたいだけど」
 翼は釈然としない様子だ。異人はいつもこうだ。自分で異世界に来たくせに、今までいた世界の常識を脱ぎ捨てることをしない。古い知り合いの異人を思い出して、つい態度が険しくなるが気にしない。こいつらは大切な助手兼友達の命を脅かした。
 構わず話を続ける。
「竜は婚約者の女性にあらゆる魔術知識を与えるらしいわ。だからアレイシアもそうなんじゃないかと思っていたの。優秀すぎるからね」
 勿論根拠はそれだけではない。何十、何百年と生きてきたこの身とそう変わらない知識をもった人間が、自力でそれを手にしたとは思えなかったからだ。だから調べた。そして知った。アレイシアの姉、妹、母、叔母、従姉妹、姪。調べのついた親戚筋の女性は、ひとりも漏らさず竜に嫁いでいる。
「彼女は婚約者の竜から逃げていた。でも、偶然にも今日出会ってしまった」
「暮葉の召喚する竜がその婚約者か。で、とうとう見つかったことに動揺した? それにしては怯えすぎていたんじゃないか。命でもかかってるみたいだった」
「あんたには死ぬより怖いことってないのね」
 颯は話を信じていない様だ。アレイシアが自ら首を飛ばそうとしたことがわからない素人が、何をわかったつもりで。
「レイは死のうとしたのよ。あんたじゃなくて自分の首を飛ばそうとした。死んだほうがましだって、一瞬でも思ったから」
 先生、イオレの声が止めた気がしたが止まらない。この女にはなにひとつだってわからない。アレイシアがどんな気持ちで毎日を過ごして、とうとう見つかったときどんな気持ちだったか。それを分かっているつもりの自分がどうすべきだったか。胸の中でくすぶっていたものが燃え上がって、からだの内側を焦がすような痛みを感じるのは一体いつぶりだろう。
「それで、暮葉のせいだっていうのか」
「あの竜がレイの婚約者だって知ってたならそうね」
 颯がかっとなって前のめりになるのを、イオレが慌てて抑える。この女にはアレイシアに竜を近づけるなと忠告したはずなのに、そうしたのはあの竜がレイの婚約者だと知っていたからではないのか。知っていたから、エイローテまで引っ張りだして引き合わせようとしたのではないのか。
「暮葉に八つ当たりするのはよしてくれませんか」
 声は朱伊のものだ。低い声とは裏腹に顔はいつも通りの薄っぺらい笑顔である。この二人は別れたと言っていたのに、妹をここまで大事がるとは。
「八つ当たりじゃない。彼女がちゃんとしていれば、あの竜が勝手に出てくることもなかった」
 八つ当たりなのは自覚している。それを指摘されて、無理に理由をこじつけた。
 口に出して気がつく。なるほど、これだ。ますます腹が立った。
「それを、どうにかさせるつもりだったんでしょ。私に」
 颯を睨み付ける。彼女は気にしたふうもなく言う。そうだ。
「寝ているときに勝手に出てきたり、昼間みたいにふとした拍子に出てきたりして、暮葉の体がもたない。スノウさんが竜には一番詳しいと聞きました」
 翼の声が割って入った。体がもたない。聞いて見れば、暮葉は目を覚ましたが瞼が開いているのかいないのかわからない。朦朧として、額に脂汗をかき、呼吸が荒い。確かに、こんなことが頻繁にあってはもたないだろう。召喚が可能な者はごく僅かで、負担も大きい。魔術に素養がある人間でもそうなのだから、異人なら尚更だ。
「協力してあげてもいいわ。でもその代わり、彼女にはここにいてもらう」
 気が変わったのは彼のためではない。暮葉に興味がわいた。彼女は特別だ。おそらく、世界を跨いで竜を呼び出すことができる。その仕組みは実に興味深い。
颯と朱伊の訝しげな視線が刺さる。一方翼とイオレは活路を見いだして嬉しそうだ。
「当然でしょ?」
 颯へささやく。アレイシアを脅かす竜を召喚する娘がそれをコントロールできないのでは、さっきの出来事はこれからも起こりうる。手近に置いておきたいと思うのが人情だろう。彼女を人質と捉えるのは颯の勝手だ。
「手っ取り早いのはあの竜に出てこないよう直談判することね。召喚する彼女の体力がもてばだけど」
 竜が勝手に出てきたのは、暮葉の意識が無いのをいいことに、竜が彼女に自分を召喚させたからだ。そこまでして出てきたい理由は竜にしか分からない。
「・・・・・・わかった。少し時間をくれ」
「ご自由に」
 颯が声を絞り出す。そのことに溜飲を下げて、客室を出た。
 ドアを閉めて、長く息を吐く。肩に力が入っていたらしい。どっとからだじゅうが重くなった。ドアの向こうで言い合う声が聞こえる。早速あの二人が口げんかを始めたらしい。彼女達がどちらを選ぶにせよ、面倒なのは確かだ。それでも脅威を眼の届くところに置いておきたい。それをアレイシアと、未だ彼女に想いを寄せているらしい東に話して、特に東を説得させるのに気が重かった。アレイシアを守り切れなかった罪悪感が重くのしかかっている。
 東の部屋のドアをノックした。