竜と世界と私

二章-一

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 王宮に墜落した竜の体表はくろく、識別標も付けていなかったことから地上の人間が遠隔地への輸送に利用している竜ではない。これだけが判明しているただ一つの事実だった。
墜落の原因はなんなのか、そもそも誤って落ちたのではなく故意に落ちたのではないか、そうだとするなら一体何者の仕業でなぜ王宮を選んだのか。不審が不信を呼び会議は紛糾した。
 竜の墜落の翌朝に開かれた会議でのことだ。
 今後の方向性を決める会議のはずだったが、そもそも話し合うべき問題点さえ絞られていなかった。
「住民は動揺している。いつ自分の頭の上に竜が落ちてくるかわからないと怯えている者も多い」
「納得のできる説明をせねば反乱も起きかねません」
 議員たちのやりとりは竜が墜落してからというもの何十と繰り返してきたものだ。そして答えに詰まってしまう。『そうは言っても、我々にも説明のしようがない。』
「墜落の原因がわからないというのは、わからないように細工されているからではないのか」
「人為的なものだと認めて住民を煽るようなことになっては」
「原因の分からない事故よりはましだ」
「魔導師にもわからないんだ。我々にわかるはずもない」
「そんな得体のしれないことをどこの誰が実現可能だというのだ。犯人が分からないのに人為的なものだと認めてみろ、議会への信頼はどうなる」
「しかしこれ以上黙ってはいられない。それこそなにもわからないと言っているようなものだろう」
「ならどうするのだ」
 何周目かわからないやりとりを止めたのは勢いよく開かれた扉の音だった。保身論者たちに飽き飽きしていたメイズは喜んで顔を上げる。当然それは表情には出さない。
 会議室に入ってきたのは青い上着を着た中年の男と、白い上着――天界人の奇妙な形をした正装――を着た金髪碧眼の男だった。一目で天界人とわかる金髪の男は若く見えるものの、纏っている空気は老獪だ。
「早坂、会議中だぞ」
 青い上着を着た男――早坂にはメイズも面識があった。民間の魔術師組織である魔術師団の理事にまで成り上がった野心家で、目的のために手段を選ばない男だ。
「失礼。こちらの方を会議が終わるまで待たせるわけにはいきませんでしたので」
 早坂は悪びれもせずのたまう。議員の一人が青筋を立てるが、天界人が口を開いた。
「この件に関して協力するため天界から来た。親善大使とでも捉えてもらって構わない」
 会議室がざわついた。天界が竜の墜落を認知しており、それを問題視している。その上それを地上の人間と共に解決しようとするだと?
 これまでなかったことだ。
「先月魔導師の元に白い竜が墜落したことはご存じだとは思うが、白い竜は元々天界より遣わされたものだ」
 知らないわけがない。あの”魔女”の居住を王宮と押しつけ合う会議の数々も退屈極まりなかった。しかししろい竜の話は別だ。竜の色は種族の違いではなくただの個体差だというのが通説だった。
「あれの墜落は天界でも把握しかねている。そして昨日、今度は地上の竜が墜落を起こした。我々はこの世界を構築しているものまで揺るがす何かがあると考えている」
 この世界を構築しているものを揺るがすだと。話が突飛すぎる。メイズには信じられない。
「先月の墜落に遭った魔導師は昨日の墜落にも遭っています。これは偶然でしょうか」
 早坂のわざとらしい口ぶりは、しかしもっともだ。
「”魔女”か」
「ピア・スノウ。こちらではそう名乗っているようだが、これにこの件を調べさせたい」
 元から疑惑の多い魔導師だ。王宮の面目を潰すこれ以上ない機会に議員達は反対などしなかった。


 あの”魔女”に関してメイズの知っていることは少ない。不老不死で、この世界中で最も竜に詳しいと噂されている。この世界で唯一水の魔術を自在に扱える正真正名の魔導師。メイズがこの世界に来たときからそうだった。人嫌いで身勝手らしく、王宮でも手を焼いて大陸から追い出したとか。それでも功績は華々しいらしい。新任魔導師が彼女の弟子だというのも有名だ。
 そういえばあの女は”魔女”と親しい。仕事を得るために異人管理の役人と関係を持つような女だ。メイズが用済みになった後は将軍に乗り換えた。”魔女”にはなぜ近づいたのか。彼女の家族を最近この世界に入れてやったばかりだ。竜の件に関係しているか、していなくとも”魔女”の動きがわかる。調べて損はなさそうだ。この後別件で部下に会う予定があったがちょうどいい。そう考えながら議場内の自室に入ると、先客がいた。昼過ぎの強い日差しが締め切ったカーテンを透かし、メイズの椅子に腰掛けて脚を机の上で組んだ女を逆光で影にしている。この薄暗い中で、すらりとした脚のしろさが眩しい。
「将軍で満足できなかったから寄ってみた」
 声はあの女のものだ。白伊颯。今はローレンツだったか。そう手配してやったのはメイズだった。
「私はもう用済みではなかったか」
 よくも平然と顔を出せたものだ。恥ずかしいことに当時、メイズはすっかりこの女に夢中だった。捨てられたときの絶望と怒りを忘れたことはない。
「あなたでないとだめ」
 甘えた声のなんと甘美なことか。颯は脚を下ろしゆっくり立ち上がって、歩み寄ってくる。メイズは自分がまったく立ち尽くしてしまっていることに気がついた。いや、動けないのだ。彼女を自ら迎えにも、拒否して逃げようともしていないのだ。それは無意識だった。駄目だ。私はこの女の娘の父親と約束した。もう二度と関係はもたない。
「私に何をさせたい」
 ぴたり、颯が立ち止まる。ちょうど机の真ん前に立ったところだ。彼女は机に浅く腰掛け、腕を組む。メイズを捨てた時と同じような薄笑いを浮かべ、へえ、感心した声を出す。類は友を呼ぶというが、その様子はメイズのよく知るあおい髪の男にそっくりだ。
「もう馬鹿じゃないか。二、三聞きたい事がある」
「なんだ」
 やはりなにか企んでいる。部下を遣わす手間が省けたというものだ。
「娘の名前を変える手配をしたのは」
「私だ」
「軍が娘を援助するよう根回ししたのも?」
「私だ」
「その理由を聞いているか」
 メイズは肩すかしをくらった気分だった。今更娘の話か。
「親心だろう。母親にはないとみえる」
「お前にそれを頼んだ男に伝えてほしい。今夜九時アトランタ」
 アトランタはエイローテで最も人気のレストランだ。料理が美味いのは勿論だが、人気の理由は完全個室にある。
「会わない約束だと聞いたが」
「お前には関係ない」
 ぴしゃりと言い返した様子からして、本人も会いたくないのだろう。それでも会わなければならない事情があるのだ。
 なんの事情だ?
 疑惑がじんわりその存在を確かにしていく感覚がある。昨日竜が墜落したのは娘の任命式の最中で、その場には颯がかねてより親密になっていたピア・スノウがおり、颯はその翌日にこうして娘の父親を探している。昔利用して捨てた男に頼ってまでしてだ。
「それと引き替えに私に何をしてもらえるのか聞きたい」
 颯は声を出して笑った。こちらに近づいてきて、ネクタイを掴む。
「私を好きにして良い。その気があれば、だが」
 わかった。メイズの返事を聞いて颯はネクタイの結び目に指を這わせる。上目遣いにこちらを覗き込んだ。
「確かに、伝えてくれ」
「その必要はない」
 結び目を緩めようとしていた手の手首を強く握る。細い手首だ。戦場であれだけ殺したのに、この女はそんなに筋肉質ではない。力で勝てる相手だ。
「これから会う。一緒に行こうじゃないか」
 あの男はこちら側の人間である。この女は使いようによっては実に便利そうだ。