竜と世界と私

一章-二

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 昴がピアを訪ねてきたとき、東は事務所の裏にある朱伊の診療所にいた。昨晩の出来事を聞き出さなければ気が済まなかった。翼からは「世界を股にかけて追ってきた追っ手」以上の説明を得られなかったし、彼の口を割らせるよりも核心にいる人物から聞き出すほうが手っ取り早いと思ったからだった。しかし診療所に颯の姿はなかった。朱伊がひとりいただけ、しかも話にならなかった。彼とは何度も呑んだことがあるが、あんなにひどい飲み方をしているのは見たことがなかった。
 だから東はその次の日も朱伊を訪ねた。今頃アレイシアはピアと会えているだろうかと思いながら。
「今日こそまともな話を聞かせてくれよ」
 診療所は二階建てだ。闇医者には立派すぎる建物は一階に医療器具とベッドが並び、二階は恐らく住居になっている。その一階は昨日と同じ様相だった。ベッドを隠す衝立や背の高い医療器具が倒れ、椅子もひっくり返っている。昨日は朱伊がベッドとベッドの間に座り込んで酒を飲んでいたが、今日は姿が見えない。床に転がった酒瓶は記憶よりも大分増えている。二階だろうか。階段から上を覗き込んだところで、朱伊が顔を出した。
「昨日は悪かったよ」
 謝るわりに、落ち着いて話をするつもりはないらしい。彼は酒瓶を拾い始める。
「一昨日の夜の連中はなんだ」
「追っ手だ。軍の異人部隊と鉢合わせしたらしい。どうして一昨日なのか、とかどうしてここに集まったのかは知らない」
 彼の言っていることは翼とそう変わらない。こういう時のためにどこまで話すか口裏を合わせてあるのだろう。
「その追っ手が来た次の日に天界人と魔術師団が来たのは偶然か」
 議会からの召喚状は先週届いた。その日付に合わせて来たのかもしれない。しかしなんのために?
「偶然。あいつらもこっちじゃあ異人だ。そんな連中と関わり合いがあるとは思えない」
「どうして言い切れる?」
 本当は颯を問いただすつもりだった。が、朱伊でも良さそうだ。これを突き止めるために残ったのだから、なんとしてでも聞き出してみせる。アレイシアはこういったことの解決は苦手だ。彼女がピアを連れて戻ってくるまでに片を付ける。
「知っているから。この世界の誰よりも、この世界のことを」
「冗談は聞きたくない」
「なんだ、言って欲しいことを言ってやったのに。それよりもよく考えてみろ。異人部隊を仕切っているのは議会で、議会の差し金でお前の大事な魔導師様は連れて行かれちまった。二枚舌は誰だ?」
 朱伊の声音は常と変わらない。理知的な話し方は煙に巻くつもりではないことくらい分かる。
 議会に天界と組むことなどできない。この国の王宮ですら、国王ですらできないのだ。天界から手を組む相手として選ばれるとすればそれは魔術師団で、魔術師団が天界の協力を得て事を起こすために議会を動かさせたのだろう。
やつらの目的が竜の墜落調査だというのも真実ではないはずだ。ピアと竜。嫌な組み合わせだが、だからこそ東がここを離れる訳にはいかない。誰かが帰る場所を守らなければ。
「議会は天界と魔術師団の真意を知らない。やつらのことはよく知ってる」
「どうして言い切れる?」
「天界が魔術師団とピアを使うのに儀礼的に話を通しただけのはずだ。”皿”の連中は地上を馬鹿にしているから」
 なるほど。朱伊が相づちをうつ。彼は床に散乱したガラス片――倒れた医療器具のものだ――を掃き集め始める。
「議会は連中に利用されている。つまり、議会に仕切られている異人部隊の作戦とニアミスしたのは偶然だな」
「お前達の追っ手が異人部隊の的になっていたのはなぜだ?」
「言っただろ。あいつらもこっちじゃあ異人だ。違法に武装していれば軍に追われるのも当然」
 お前達の追っ手が天界と魔術師団の企みに関係しているんじゃないか。口に出すには、根拠が無い。
「ならどうしてお前は突然昔の男に女を取られて飲んだくれてた」
「お前にだけは女がどうこう言われたくない。娘のためだ。あの屑のためじゃない」
「どうして言い切れる?」
 朱伊の手が止まる。からり、箒を手放して、こちらを睨む。
「よほどの修羅場だったんだろうな。見逃して残念だ」
 室内がこれだけ荒れていながら、朱伊の顔にはあざ一つない。この優男は、彼曰く屑男から、あのやけに筋肉質な女に庇われる一方だったということだ。その上みすみす女が連れて行かれるのを見送った。
「どうしてそれがあの夜だった。なぜ魔術師団どもが来る前日だった?」
「娘のためだ。偶然。あの夜が追っ手の来た後だったのも偶然。白伊が日にちを選んでいたのかもしれないしそうでもないのかもしれない、俺の知ったことじゃない」
「白伊。その連中は何者だ?」