竜と世界と私

一章-四

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 メイズが部隊に戻ったとき、隊員はほとんど出払っていた。陽はもう昇っているがまだ朝方だ。ずっと追ってきた仇である榊麻耶を捕らえ、尋問が行われているはずだった。彼女を捕らえて連れてきたとき、我先にと隊員達は取調室に殺到した。尋問が始まってすぐ、メイズは議会から呼び出しがあって――帰ってきたのは今だ――見ていないが、あの様子では尋問自体にかなり時間がかかるはずだ。もう終わっているとは考えられない。仮に終わったとして、彼らが仇を前にして帰宅するわけがない。
 どうした、残っている隊員を捕まえ聞くが、反応は要領を得ない。取調室を見て、やっとその訳がわかった。榊麻耶が血だまりの中、仰向けに倒れている。胸に血の染み。足下に古ぼけたリボルバーが転がっている。瑠璃流風の銃。彼が恋人へ、御守りとして贈った銃だ。カレンは肌身離さず身につけていた。拾い上げて見れば、弾倉には見事に二発ない。
 尋問中頭に血が上った誰かがカレンから銃を奪って撃った。そうに違いない。
 尋問の音声記録を聞いてそれは覆された。
『あの女は、巻き込まれた不運なあなた達を使って実家に復讐するつもりなのよ。・・・・・・男はどう。それが嫌で家出をしたのに、あいつは女をして手当たり次第に男を利用する。私の大切な人だって』
『私のものよ』
 カレンの声に次いで銃声。動機も完璧だ。間違いなく彼女が撃っている。
「みんなどこに行った。カレンはどうした」
「颯・ローレンツの捜索です。カレンは瑠璃小隊長の自宅を訪ねたのを最後に行方が知れません。目下この二人も捜索を」
 指揮官は私だ。怒鳴りつけそうになるのを踏みとどまる。作戦中に議会に呼びつけられ部隊を放り出しておいて、部下が指揮官と認めようも無い。
「仕切っているのは誰だ。態勢を立て直す。全員呼び戻せ」
 よりによってカレンだとは。彼女だけはないだろうと思っていた。衝動に任せたにしろ、男に指示されたにしろ、人を殺すだなんて。しかも部隊全員に共通する仇を。
 颯・ローレンツの行き先はすぐに判明した。東側の国境。彼女の出世の足がかりとなった場所だ。娘で王宮魔導師のイオレ・ローレンツがその近くで魔術実験を行うためのようだ。娘のことだから父親もぐるになってメイズを出し抜いたということだろう。その父親――異人部隊の小隊長を努めていた男は行方が知れないという。新しい恋人のカレンと逃げたと考えるのが妥当だ。しかしそれが問題だった。行き先が絞れない。計画的なものか衝動的なものかで行き先は大きく変わる。
「部隊は二手に別れろ。近場と、三十キロ圏内で瑠璃とカレンを探せ。私は東の国境に行く」
 居場所が分かっているのだから人手は必要ない。昔からの仲間二人で十分だ。


***
 国境から十キロは緩衝地帯になっている。国家間の取り決めで原則立ち入り禁止だ。緩衝地帯ぎりぎりの位置に軍の国境警備隊基地がある。最も近い町からは十数キロ離れており、この小さな町は都市部からもかなり離れている。基地は今日騒がしかった。颯が来た時には既に。王宮直属の特権を濫用しても軍の魔術部隊に割り込むことはできなかったため、国境警備隊の応援としてここに来ることしかできなかった。
  国境警備隊も火種が来てぴりぴりしている。その下地に、朝から近くの町を陣取っている軍の魔術部隊と王宮魔導師の存在があった。なぜこんなところで実験なんか。そこかしこで囁かれる言葉には心から同意する。広い場所が必要だから、らしいが、だからといって緩衝地帯ぎりぎりは隣国を刺激する。馬鹿は王宮か、議会か、軍か、魔導師か。賭けの一番人気は魔導師だ。大穴は議会だった。
 東の国境は颯にとって大きな戦果を挙げた最初の戦場だった。当時激戦区と呼ばれたこの一帯の戦線維持を一人でしていたと言っても過言ではない。何人殺したか分からないくらいだった。だから、隣国の憎しみを一身に受けている。見つかったら小競り合いになりかねない。その先は戦火の再燃だ。そんな事情もあってこのあたりに来ることはもうないと思っていた。軍だって近づけたがらなかった。だが娘のためだ。あの子がここで何をさせられようとしているのか、確かめなければならない。娘の父親と探り突き合わせた情報によれば、娘の研究を軍事利用するためにピアの弟子を辞めさせ、名誉と研究設備・費用で操り、虐殺も可能な魔術を開発させた。その最終実験をわざわざ、緩衝地帯ぎりぎりの、ここで行う。これまで近づけたがらなかった東の国境の英雄をみすみすここに遣った軍か、その後ろにいる議会かは戦火の再燃を企んでいるに違いない。そのきっかけを、娘にさせるつもりなのだ。王宮魔導師でありながら、王宮と対立する軍とつるむあの子には味方がいない。唯一味方になり得るピアはあちら側だった。
 娘を利用などさせない。この命の危険など知った事か。娘の父親はそんなことを気にした風も無かった。今頃こちらを気にも掛けず、榊麻耶を締め上げているだろう。
 がらがら、昼過ぎになって、二台の馬車が警備隊の検問を通った。馬車と言っても馬に引かれていない馬車だ。馬車の荷台だけが動く様子に違和感を抱くあたり、この世界に染まっているのかもしれない。鮮やかな青色の馬車を運転しているのは青い上着を着た男だ。手続きに降りてきた男は遠目からでもすぐに分かった。早坂。アレイシアを魔術師団に引き抜こうとしている男。つまり、あの荷台の中にピアがいる。アレイシアはどうしたのだ。馬車がここを超えたらいくら魔導師の助手でも後を追うことはできない。国際問題になる。行動を起こすべきだ。自分にならできる。しかし、その後どうなる? ここで騒ぎを起こしたら国際問題になるのは自分も同じだ。そうしたら娘を陰謀の渦の中から救い出すことはできない。大切なものはどっちだ。暮葉を救うのに必要なピアか、実の娘か。ピアとの約束を思い出す。「大切にして。弟の彼女よりも」そう言ったピアの顔を。声を。あの悔しさを。