竜と世界と私

三章-四

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 最近後ろから襲われてばかりだ。別に背後を気にしていないわけではない。颯やピアやこの男ほどではないだけだ。言い訳じみたことを考えていると、ナディアが笑うのを感じる。そもそもこの竜には階段下に潜んでいる人影が見えていた筈だ。それなのにここまで放っておくなんて、なにが愛しているだ。
「危害は加えません。協力しますから、それを降ろしてもらえませんか」
「本当に悪いと思ってるよ。本当だ」
 塔を出て、この建物が学校だった頃は教室の詰まっていた範囲の一階を見て回りながら、アレイシアは五度目のお願いをした。男は最初こそ拒否の姿勢だったが、回を重ねるにつれぞんざいになだめるようになった。背に武器を押しつけられすぎてあざになっていそうだ。男はかなり焦っている。
「本当にここの生徒だったのか」
 廊下に人気はない。兵士が大勢いても困るが、少なくとも捕虜――とてもそうは見えなかったが――を捕らえておくなら人の一人二人いるだろう。つまり空振りしている。
「本当です。広いですし、普段使われていないみたいですから、手近な部屋を使っていると考えていました」
 学校として使われる前は修道院だったという。百年以上前の話だ。生徒が知らない隠し部屋も山ほどあると噂があったほど複雑な建物だ。その気になればどこへでも隠せるだろうが、颯を捕らえている方はそんな場所を探している余裕などなかったと考えていい。
 上階、はない。荷物を抱えて階段を上るだろうか。そもそも彼らは探されると思っていないのだ。
「地下だと思います」
 よし。言って男が急かす。急かされるまま歩きながら、地下の構造を必死に思い出す。生徒は立ち入り禁止だった。行ったことはある。が、建物とは比較にならないほど複雑だ。地下牢の噂もあった。見つけたという話は聞いたことがない。
 地下への階段は玄関ホールにある。ホールに入ったところで、上階から響いてくる足音があった。ひそひそと話す声の内容までは聞こえない。男に階段下へ引きづりこまれる。頭上を足音が過ぎていく。瞬間、男に突き飛ばされた。よろけて振り返ると、男は武器でひたとこちらを狙っている。下手なことを言ったら殺す、だ。アレイシアは階段を見上げた。姿を現した途端になにも飛んでこなかったことに少し安心する。
「レイさん!」
 飛んできたのは暮葉のきんきんした声だった。彼女は階段を駆け下りてくる。翼も彼女と一緒だったが、ちらり、こちらが階段下を見たのに気がついたらしい。腰の後ろからあの黒い武器を取り、足音を殺して油断なく階段を下りてくる。
「無事だったんですね! 良かったー!」
 暮葉が抱きついてくる。受け止めるが、どう反応したものか困る。しかも目の前では恐らく兄弟が物騒な再会を果たそうとしている。口を開いたが、翼が人差し指を立てたのを見て、結局なにも言えず閉じた。階段下の男がそれを見て気がついたらしい。武器を構え飛び出す。
 あおい髪の男が二人、黒い武器を構えて向かい合う。その緊迫感にやっと気がついた暮葉が素っ頓狂な声を出した。
 先に動いたのは兄の方だった。親指に武器を引っかけ、両手をあげる。反対に弟はきつく武器を握りこんだ。
「なぜこんなところにいる」
「颯を助けに来た」
「ここにいるとなぜ知ってる」
「国境で聞いた」
「なぜ?」
 繰り返し理由を聞く翼に、兄は素っ気なく答えた。弟から押しつけられる、端から見ても過剰な嫌悪を兄はうまくかわしている。それが弟の嫌悪に輪を掛けるのだろう。
「榊麻耶が吐いた。異人部隊にリンチさせる気だ」
「それをどうにかできるから、あいつを渡したんじゃないのか」
 そうだな。兄は呟く。反論がありそうだが、それを口にするつもりはない様だった。
「文句は後で好きなだけ聞いてやる。上にはいなかったのか」
 翼の構える武器が大きくぶれる。
「撃ちたきゃ撃て。だが考えろ。お前一人で女二人を連れ出せるか? 国境をどうやって越える?」
 からん、兄が武器を弟の足下へ放る。背を向け、玄関ホールを見回した。地下への階段を探している。だが、アレイシアは翼がどうするのかを見届けたかった。この兄弟にどんな事情があるのかは知らない。だが、絵に描いたような好青年の翼が殺意にも似た嫌悪を向け、それは相手にもされない。兄は馬鹿にしているのでも侮っているのでもないように見える。彼はもしかしたら、弟が「撃つ」ことを期待しているのかもしれない。根拠はないがそう思ったところで、翼が武器を降ろした。ほっとするのと同時にがっかりする。いや、がっかりしているのはナディアだ。アレイシアは自身にそう言い聞かせた。
「上には誰もいなかった」
 そうか。応える兄は振り向かない。彼が手招きする。地下は。短くそれだけ言った声からはなにかを見いだすことはできない。玄関ホールの隅へ誘導する。
 棚で塞がれ、頑丈な鍵がかかっていたはずだが、地下への入り口は開いていた。冷気と一緒に微かな物音が聞こえる。